【実話】親が転ばぬ先の杖を用意しすぎた天才IQ持ち主の末路

天才を伸ばす育児

高いIQを活かせずに、夢とはかけ離れた現状で悶々としている天才の実話です。

子どもの失敗を防ぐため、親が「転ばぬ先の杖」を用意しすぎた結果、自立とは無縁のおとなこどもに成長した天才IQの持ち主の人生は、お先真っ暗。

親のまちがった愛情と子育て法が、優れた知能に恵まれたひとりの人間の人生を歪めてしまった場合、人生の修復はどこまで可能なのか。

その答えは、おそらく最後まで見つからないでしょう。

正解を見つけるためには、親が自分の存在を否定しないといけませんから。

日本留学がコロナで延期、落ち込む子のいる家族に招待される

今年の夏、本屋で昔の知人・Mさんにバッタリ出会った。

互いの知り合いが寄り集まって、アーレ川の岸辺で催したバーベキューパーティで数回ご一緒した程度なので、本当に顔見知りというだけの仲なのだが、Mさんは私をどうしても、家に招きたいと言う。

なんでも、彼女の息子さんが日本への留学を予定していたのだが、コロナの影響で延期を余儀なくされ、落ち込んでいるとか。

「最近は、ふさぎ込むことが多くって…。日本へ行けることを楽しみにしていたから、ショックが余計大きいみたいなの」

このセリフが、私を動かした。

日本が大好きで、留学まで計画している青少年が、私とおしゃべりすることで少しでも気が晴れるのなら、身に余る光栄。

私はMさんのお招きを快諾したのだった。

想像と現実のギャップ【予想外の子どもの姿­】

私の思いちがい:日本留学予定の知人の子どもはすでに30代半ばで横柄

お招きいただいた当日、Mさんのご自宅へ向かうと、彼女とご主人があわただしく夕食の準備をしていた。

息子のJ君は、部屋にこもっているらしい。

「だけど、日本人のユキが遊びに来るって聞いて、大喜びしているの。食事のときには同席するから、それまではそっとしておこうと思って」

ご両親がJ君を腫物扱いしているようなので、私の頭の中にはすぐさま「J君、専門家に診てもらっているかしら?」と疑問が湧いたのだが、会って早々、立ち入った質問をするのは避けたい。
私は黙って、頷いた。


「さあ、お食事を始めましょう! ダーリン、Jを呼んできて」

Mさんに促され、ディナーの始まりを告げに行ったご主人と共に現れたJ君を見て、私は大変な思いちがいをしていたことに気づいた。

Mさんの息子・J君は、30すぎのオッサンだった。

スイスでは、ギムナジウムを卒業したばかりの20歳前後の若者が語学留学をすることが多いので、私はJ君もそのお年頃にちがいないと、勝手に思い込んでいたのだ。

食事を用意してくれた両親にお礼の言葉も述べず、着席したJ君は、召使いをアゴでつかう王様のように横柄な態度で、料理をサービスする両親をぞんざいにあしらっていた。

母親の過干渉が天才児をつぶすという専門家の意見は無視される

母親の過干渉が天才児を潰すという専門家の意見は無視される

この後、着席して食事を始めたMさんとご主人は、息子・J君について事細かに話し始めた。

J君は小学生のときに受けた知能テストで、IQ130以上と判明した天才児。
けれども、J君を最初に診断した精神科医は、J君のギフテッド認定を拒んだ。

注:スイスで行われる天才児認定では、知力以外に非認知能力も考慮されます。

そこでMさんとご主人は、複数の精神科医をハシゴし、別の医師から天才児認定を受けようとしたのだが、行く先々でテーマになったのは、母親・Mさんの過干渉。

どの医師も、Mさんが態度を変えないと、J君の発育が妨げられると申し合わせたように指摘し、家族でセラピーを受ける必要性を訴えたという。


Mさんは、息子のJ君が失敗しないように、あらゆる点を完璧に考慮して、J君の日常生活を管理していたそうだ。

宿題やテストの準備はもちろんのこと、スポーツクラブの活動でも、J君はMさんに指示された通りのことをこなす毎日。

自分の教育法に絶対の自信を持っていたMさんは、精神科医が必要性を促した家族セラピーを拒否した。

その代わり、ギフテッドと認定されず、飛び級ができなかったJ君のために、家庭で2年分の科目内容を先取りしてレッスンをしたのだとか。

ところが、MさんとJ君の二人三脚を学校側は行き過ぎと判断し、その結果、優秀な子の進路である6年制の長期ギムナジウムは、J君には不適切と決定されたという。

さらにその2年後、4年制の普通ギムナジウムへの推薦入学ももらえなかったJ君は、受験するも試験に失敗。

天才がつまずいた負の連鎖の原因を家庭の外に見いだす親子

下へ向かう螺旋階段

Mさんによれば不合格の理由は、受験の半年ほど前にあった、担任との保護者面談が引き起こした「負の連鎖」。

J君の担任の先生から「J君の幸せを願うなら、親子関係の専門家に助言をもらうべき」と勧められ、親子3人でようやく始めたセラピーで、一家を担当していた精神科医から「J君が自立できるように、自分で挑戦して失敗するきっかけを与えなさい」と「強制」されたMさん。

16歳になって初めて、自分ひとりで宿題や定期テストの準備をすることになったJ君は、当然失敗の連続で、学業に集中できなかったそうだ。

「私があのとき、ずっとJの手助けをしていたら、Jの人生はバラ色になったのに…」とMさんは涙を浮かべていた。横にいたJ君は、ウンウンとうなずいていた。


その後、イヤイヤ進学した専門高校では、J君が進級に必要な論文を期日までに提出することを忘れ、留年が確定。

学校側の決定が不満だったMさんは、留年の撤回を求める抗議を校長先生に直談判し、J君に提出忘れがないように注意を呼びかけなかった担任を激しく批判した直後、J君は退学処分を受けたそうだ。

日本が救済の地と信じる、天才レベルのIQを持つ無職の30代

コンピューターゲーム中の男性

中退のまま社会人デビューせざるを得なかったJ君は、数々の職場を転々とし、上司や同僚を「頭が悪い」と面と向かって罵倒する態度が原因で、毎回クビに。

結局、30歳過ぎで定職はなく、毎日自宅でゲームに明け暮れる日を送っていたが、日本のアニメとゲームのおかげで生きがいを見つけたので、気分転換に日本留学を思いついたというのだ。

そんな中、偶然日本人の私に街中で再会したことで、Mさん一家の日本フィーバーは加熱し、「日本へ行けば、J君の再出発が可能」と家族揃って信じ込んでいるようなのだ。


しかしMさんのお話は、次第に変な方向に進んで行った。

J君の日本語教師になってほしい、という希望はまだわかる。

けれども、J君の留学先を見つけて、できれば手続きもやってほしい。もし数年、日本に滞在となれば、アルバイト先があると便利なので、私の親戚・友人の元で仕事を斡旋してくれる人はいないか、などなど。


「だけど、Jちゃんが日本に行く前には、3人でモルディブに立ち寄らないとね」と話したMさんに、J君が答えた。

「前回のモルディブ行きがキャンセルになったのは、パパとママが旅行のスケジュールをキチンと把握していなかったから。ボクだけだったら、行けたのに…」と恨めしそうに語るJ君に、私は思わずたずねてしまった。

「じゃあ、なぜJさんは旅行をキャンセルしたの?ひとりで行けばよかったのに」

言っておくが、私のこの発言はスイスの感覚からすると、けっして無礼ではない。

実家暮らしだと、おそらく家賃も生活費もタダ。
スイスの最低賃金は高いので(レジでバイトをしているウチの娘の時給は、約3000円)、効率良く貯金ができるではないか。

知育だけを重視して生活力ゼロのおとなこどもになった天才IQ元少年

東京タワーの夜景:親の脛かじって夢見るタワマン留学生活

ここでMさんのご主人がこの晩初めて、非常にアクティブに日本での生活費用など金銭面での質問を私にし始めた。

「日本での旅行はお金がかかる」という認識は、スイス人に浸透している知識なのだが、世界で1、2を争うほど物価の高い国の住民である彼らは、外国の物価をみくびっているところがある。

しかしJ君はどうしても、東京のど真ん中でそこそこ広さのあるタワーマンションの一室を借りたいとご希望なので、私が敷金・礼金など、家賃以外にも必要な経費と値段の相場をお伝えすると、Mさんとご主人は驚きのあまり数秒間、ポカンと口を開けたままだった。

気を取り直したご主人が、「Jちゃん、日本行きが決まったら、モルディブ旅行はキャンセルだ。それに、東京での家賃がそんなに高いとなると、もしかしたら他の都市に行くことを考えた方がいいかもしれないね」と話しかけると、J君はあからさまに不機嫌になり、「モルディブも東京も、すでに約束していたことだから、勝手に変更しないでよ」と席を立った。

気分が悪くなったので、デザートは部屋で食べるからと言い残して立ち去ったJ君は、自分の食器さえ片付けていなかった。

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J君がいなくなると、「あの子の将来が心配で、夜も眠れないの」とMさんがため息をついた。

Mさんのご主人は、J君の現状がストレスになったのか、半年前には心臓発作で倒れ、緊急手術を受けたそうだ。

「私たちの教育法がすばらしかったことは、JのIQテストの結果で証明されているはず。それなのに、Jはホントについていないの。Jがいつも言っているわ。精神科医を筆頭に、教師・職場の上司と、行く先々でJが出会うのは、愚かな人ばかり。誰も自分が天才だと気づいてくれないって」

Mさんのご主人も口をそろえた。

「まわりの人たちが愚かなせいで、Jは天才にもかかわらず、まともな人生を送ることができなかった。親の私たちに何かあったら、Jは生活保護を受けなければいけない。Jは本当にいろいろなことを自分でキチンとしているのに、可哀想で仕方ない」


ここで私は聞かずにはいられなかった。

「J君がご家庭で担当している仕事は何ですか?」

「え?」

「ほら、掃除・洗濯・食事の支度・買い物・庭の手入れって、家事にはいろいろあるじゃないですか。J君は、何係ですか?」

Mさんとご主人は、顔を見合わせて答えた。

「・・・Jは、何も担当していないわ。だって、Jは子どもですもの」

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私がMさんのお宅を訪れて数週間後、Mさんのご主人と街ですれちがった。

職業安定所の紹介で見つかった勤務先を、J君は再び2日後には退職したそうだ。

職安の職員の方に、「もう仕事の斡旋はできません」と通達されてしまい、最後の手段でJ君が障害年金をもらえないかと役所にたずねたら、再び精神科医での受診が必要となったらしい。

その精神科医に、「J君には障害がない。あるとしたら、30過ぎの息子の受診に同席したいと言い張り、息子が自分でするべき手続きを代行する両親の姿勢ですよ」と言われたと憤慨しておられた。


これまで30年以上、噛み合わなかったMさん一家と社会の歯車は、そう簡単には軌道修正できないだろう。J君を不幸にした人たちを指差して批判するために使っていた人差し指を、自分たちの胸にようやく向けても、過ぎた時間は巻き戻せないのだから。


J君が小学生だったときに、天才児認定を拒んだ専門家たちの意見は、やはり正しかったようだ。

「もしあのとき〜だったら」と過去を振り返ることは、人生に禁物かもしれないが、開花できなかったJ君の才能が悔やまれる。

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