なんでも事実を知りたがるギフテッド児にとって、事実と異なる教師の主張は、受け入れられない出来事です。当時5歳の娘が混乱したテーマは「神様」という難題でした。
スイスではほぼ全員参加だった宗教の授業
娘が小学校に上がる直前のことです。当時のスイスでは、「宗教の授業」なるものがありました。
授業は自由参加だったのですが、幼稚園のお友だちも、親御さんが自分の信仰に反すると感じていたご家庭以外は、全員参加している状態。
私たち両親は、宗教に関しては娘が成長してから自ら選べばよい、と考えていました。しかし、キリスト教の文化が定着しているスイスで生活している以上、国の文化の礎を学ぶよい機会であると判断しましたので、娘も自宅近くの教会で行われる授業に通わせることにしたのです。
【事実と違う教師の主張に悩むギフテッド児】事の発端は楽器の発明者

ある日のこと、教会で宗教の授業を終えた娘(当時幼稚園生)は、お迎えに行った私への挨拶もそこそこに、なにやら思いつめた表情でした。普段は実況レポーターのように、体験したことを詳細まで報告する娘が、口を閉ざしたままなのです。
「どうしたの?」とたずねる私に、戻ってきた答えは、「ちょっと調べたいことがあるの」のひと言だけ。
自宅に到着すると、娘は自分の部屋に突進して行きました。
そして本棚から1冊の本を取り出し、目的のページを見つけて事実を確認した娘が、ようやく私に事情を説明し始めたのです。
娘が手にした図鑑のページには、ピアノの歴史が記されていました。
「この本に、『ピアノの発明者は、イタリア人のバルトロメオ・クリストフォリです』って、書いてあるでしょ?それなのに、宗教の先生は、『ピアノを発明したのは神様です。バイオリンの発明者も神様です』って、今日の授業でお話ししていたの。それって、間違いだよね?」
娘のこの問いは、「ギフテッド児の母、困る」の高難易度レベル。
「一休さん、助けて〜」と、私は思わず心の中で叫んでしまいました。
【事実と違う教師の主張に悩むギフテッド児】娘の質問を教師が叱る

娘によると、その日の宗教の授業で先生が取り上げたテーマは「感謝の気持ちについて」でした。
先生は、「この世に存在するものすべては、神様が私たちに与えたものである」とお話しなさったとか。
そこでひとりの生徒が、「じゃあ、私たちが使っているものは全部、神様が作ったのですか?」とたずねたところ、先生が教会にあったピアノを指差し、「そうです!あのピアノも、バイオリンも、フルートも…。楽器だけでなく、私たちのまわりにあるすべてのものは、神様によって作られたのです」とお答えになったそう。
別の生徒からの「神様が全部発明したのですか?」という問いに続いたのは、「その通り!」という先生の答え。
当時、娘はちょうど「発明者」の自伝に凝っていた時期で、この宗教の授業の数日前に、さまざまな楽器の発明者についての本を読んだばかりでした。
「ピアノの発明者は、イタリア人と本に書いてあったのに、なぜ神様が作ったことになるのだろう?」と怪訝に思う娘の横にいた生徒さんも、ウチの娘と同様に、訝しい表情をしていたらしいのです。
するとその生徒さんは、バイオリンを習っていて、「バイオリンを発明したのは、イタリア人だと音楽の先生に教わったばかりなのに…。神様が作ったって、どういうことだろう?」と、娘と同じ疑問を抱いていたそうです。
小声で意見交換をしたふたりは勇気を出して、宗教の先生に「ピアノとバイオリンの発明者は、神様ではなくてイタリア人のはずなので、説明してください」と質問したところ、先生はふたりを叱責。
宗教の先生には、このふたりの質問が、神様への冒涜に思えたのかもしれません。けれども、本人たちは先生を挑発する気ではなく、お話の意味が本当にわからなかったから質問したのに、他の生徒の前で延々と叱られたというのです。
【事実と違う教師の主張に悩むギフテッド児】先生を訂正したい、でも…。

先生が「神様が作ったもの」として例に挙げたのは、地球や生命だけではなく、机やランプなど人の暮らしを支える物品も含まれていたそう。
娘の視点からすると、宗教の先生は楽器の発明者だけではなく、地球誕生や生き物の進化についても正しく理解していないようなので、彼女の頭の中は大混乱。
「大人であれば当然知っているべき事実を知らずに大人になり、さらにそれらの間違った知識を子どもに教えている先生が、このままでいてはマズイ。だけど、先生の意見を訂正して、また怒られるのはたまらない。どうすればいいのか…」と娘は頭を抱えていました。
大人の意見を訂正したいギフテッド児:親にとっては正念場
こういうときって、ギフテッド育児にあたる親の正念場です。親が思慮に欠けた答えをチラッとでも口にすると、エンドレス討論の沼に沈みますからね。たとえお夕食の準備をしなきゃいけなくても、数時間は討論から抜け出せない(笑)。
そして、ギフテッド児本人にとっては「事実の探求」は重大な意味を持つこと。真剣に悩み苦しんでいるので、娘が理解できる論理で説明する必要がありました。
【事実と違う教師の主張に悩むギフテッド児】神様の存在:正解は何?

おそらく宗教の先生は、「神の存在証明」を子どもたちに伝えたかったのではないか、と私は推察しました。
外部リンク:コトバンク 神の存在証明
そこで私は考えた挙句、
- 私が知っている限り、神様の存在は現在まで科学では証明されていない
- でも、世の中には異なる『事実の受け止め方』がある
- ひとつは、歴史や科学のデータから『証明された事実』を信じる考え方
- もうひとつは、自分の心の中で形作る『抽象的な事実』を信じる考え方
- どちらの事実も、その事実を認めている人にとっては真実
- だから、自分と違う『事実の認識の仕方』を持つ人もいる、と受け止めることが大切
- でも、自分の意見は自分で決めていい
と説明したのです。
【事実と違う教師の主張に悩むギフテッド児】わが家で出した答え

このあと、親子でさまざまな意見交換をし、考慮期間を経てわが家が出した答えは、「宗教の授業はやめる」ことでした。
ただし、神様の存在は現時点で証明されていなくても、すべての物や人に対する尊敬と感謝の念を持って生きることの大切さについて、親子でその後もたびたび、話し合いました。実は娘が成人した今でも、折に触れ話題になるテーマです。
宗教の先生の態度は、娘にとってはガリレオ・ガリレイを連想させたようで、この出来事があった週はガリレオ関連の本を図書館で手当たり次第に借り出していたのが、ギフテッド児ならではの反応かもしれません。
娘が宗教の授業をやめた、と後に知った義父母から「みんなが行っているのに、なぜ?」と、きつく批判されました。
でも、ギフテッド育児の心得のひとつは、
子どもの心の快適さを優先するために、まわりとつるまない勇気を親が持つこと
ではないか、と私は思います。
独特な才能のために、幼いときからわが道を歩む選択しかないギフテッド児。そのため、世間一般の観念から外れ、批判の的になることも「ギフテッド児のあたりまえ」です。
けれども、「子どもの心の快適さ」を中心に据えると、ギフテッド児が直面するさまざまな問題において、最適な対応方法が見えてきます。
前例がないことだらけで、大変難しいギフテッド育児ですが、手探りの答え探しをする場合の、参考になれば幸いです。