【わが家のギフテッド児】天才児への特別支援授業、瞬く間に中止決定

飛び級児成長記

優れた知力を発揮する生徒を対象に実施された特別支援授業は、娘が心待ちにしていた「今週のハイライト」的存在。

ところがわずか3ヶ月で中止となった理由は、「上にはみ出る生徒に対する支援は必須ではないと、学校が判断したためでした。

超優秀児への試験的プロジェクト・特別支援授業を学校がスタート

自分で作った模型飛行機を見る少女

当時小2だった娘は、お世話係の苦悩から解放されたばかり。

けれども、失敗に終わったインクルーシブ教育は、一連の出来事に関連したすべての人に、爪痕を残した感がありました。

ですから、学校から「特に優れた能力を発揮している生徒を対象に、算数の特別支援授業を試験的プロジェクトとして開始する」旨の報告があり、娘が該当生徒に選ばれたとの連絡は、わが家にとっては朗報でした。

お世話係の苦悩に関する詳細はコチラ↓。

超優秀児への特別支援授業は生徒と治療教育士にとってハイライトの授業

笑顔で嬉しそうに授業を受ける低学年の少女

特別支援授業は娘にとって、まさに「ハイライト」的な存在となりました。

特別支援授業には、小1・2・3・4学年から、3人の生徒が参加。授業を担当したのは、小学校教師と治療教育士の両方の資格を持つL先生でした。

L先生は、小学校の先生として約40年、うち20年は治療教育専門の先生として子どもたちの指導にあたっていた、超ベテラン。

学習障害・発達障害を抱える小1〜6年の生徒への特別支援を、専属で担当していた先生でした。

そんなベテランのL先生でも、優秀な子だけを集めて授業を行うのは、実は初めての機会ということで、「L先生が嬉しそうだった〜」と、娘も話していたのです。

特別支援授業は、算数が対象だったのですが、L先生は算数と自然科学を巧みにコンビネーションした、東野圭吾さんのガリレオシリーズ的なテーマを、子どもたちに提供していました。

教えるのではなく「共に作り上げる」形式の授業で、特別支援授業があった日には、娘のおしゃべりがノンストップ状態。就寝時間になってもまだ興奮がおさまらないほど、授業に熱中していました。

参加者全員の発想から、新たなテーマにどんどん枠を広げていく授業のスタイルを楽しんでいたのは、L先生も同様で、偶然お会いした際に、「優秀な子たちの学びへのエネルギーが、相乗効果でどんどん膨らむから、楽しませてもらっているのは、むしろ私の方です!」と語る先生の笑顔が、本当にうれしそうでした。

大成功の優秀児特別支援授業が打ち切りの理由は、「必須ではない」から

大成功の優秀児特別支援授業が打ち切りの理由は、「必須ではない」から

当初、3ヶ月の予定でスタートした優秀児への特別支援授業でしたが、L先生は、「これでようやく、特に優れた生徒の能力を伸ばすために学校ができることが、具体化されます。飛び級や長所を伸ばす特別課題だけではなく、優れた生徒同士が互いの意見を交換できる授業から生まれる好影響は、計り知れません」と熱弁。

「次の学期から、別の科目にも導入できるかを、職員会議で申請します」とL先生は語っていらしたのですが、先生と私たちの期待に反し、特別支援授業はこの学期をもって終了することになったのです。

腑に落ちなかったのは、特別支援授業の最後の回で、L先生はすでに次の学期に取り上げるテーマを生徒に告げ、宿題も出していたのに、突然の中止決定。

あまりに急な路線変更でしたから、特別支援授業に参加していた生徒の親御さんと共に、支援授業続行の希望を学校に伝えました。L先生は、中止になった事情をオープンに話せないご様子だったので。

学校からの返事は、「当校にはさまざまな学習障害・発達障害を抱える在校生も多く、彼らは学校側の特別支援がないと、進路の分かれ目で、自らのポテンシャルを十分に発揮できないまま、人生のチャンスを逃してしまう恐れがある。学校としては天才的な能力を発揮する生徒を支援したい気持ちは当然あるが、数少ない生徒のために、組織全体として調整を図るのは困難。よって今後は、障害による特別支援が必須である生徒に対してのみ、治療教育の授業を行う」という返事でした。

この私立学校には、学習・発達障害に上手く対応しきれない公立の学校から転入してくる生徒さんが、数多くいるのです。

それに対して天才児はどうかと言いますと、学年が上になるにつれ減り、小5の段階では「小1であんなにたくさんいた天才児たちは、どこに行った?」状態。

L先生はおひとりで、全学年生徒を対象に、特別支援の授業を担当していたので、学校側の言い分も理解できるのです。

でも、本音を申しますと、学校の決定に落胆しました。

学校の意に反し上下にはみ出る生徒を支援したい治療教育士、早期退職選択

学校の意に反し上下にはみ出る生徒を支援したい治療教育士、早期退職選択。メガネと退職の文字

あっけなく優秀児への特別支援授業が中止と決定したのち、L先生と3人の生徒は一堂に集まって話す機会がないまま。

L先生はそれぞれの生徒に、「私も残念だけれど、あなたたちは素晴らしい才能がある人間なのだから、これにめげずにどんどん学び続けてね!」と、声をかけるだけにとどまっていたそうです。

学校の決定に従うしかなかったL先生も、お辛い立場だったと思います。

3人の生徒にとっては、社会の理不尽さを痛感した出来事となったようで、休み時間に集まっていろいろと語り合ったりもしたそうです。

さて、翌週から夏休みとなる、学期最終日のこと(スイスの学校には終業式は存在しないので)。

娘が持ち帰った学校四季報の退職者欄に、L先生のお名前を見つけた私は、驚きました。

L先生の勤務歴は、20年ほど。通常、長い間この学校にお勤めだった先生がお辞めになる際には、大々的なパーティーが開かれ、お世話になった生徒たちもクラスをあげて贈り物を渡す習慣があるのです。けれども、私にとってL先生の退職は、初耳でした。

「L先生、この学期で退職ですって?プレゼントは、どうしたの?」と娘にたずねましたら娘もビックリして、「えーっ、退職?知らないよ?!」とのこと。

外向的で、学校行事では保護者とのコンタクトを積極的に取っていたL先生らしからぬひっそりとした退職の様子に、悶々としていた私は、夏休みの最中に、街中でL先生とバッタリ遭遇。

L先生は、「もう過ぎたことだし、たくさん良い思い出がある学校を悪く言いたくないので…。でも、『特別な才能に恵まれた生徒への指導』を教育方針のひとつに掲げている私立校が、普通枠から上にはみ出る生徒の絶対数が少ないという理由だけで、支援を打ち切るのは、私には納得がいかない決定でした。天才的な才能に恵まれた子どもたちも特別支援が必要だと、あの授業中に体験したからこそ、学校の決定を鵜呑みにできなくて…。だから、思い切って早期退職を選んだのです」と、退職に至った複雑な思いを、私に告げてくれました。

L先生の早期退職が影響したのかどうかは定かではありませんが、その後、「特別な才能がある生徒への指導」は、学校の指針から消されています。

ギフテッド育児はセオリーとプラクティスの違いを連続体験する難題

ギフテッド育児はセオリーとプラクティスの違いを連続体験する難題

娘の誕生後、常に手探りのギフテッド育児に悩んでいた私にとっては、特別支援授業が中止された経緯は、セオリーとプラクティスの違いを突きつけられたようで、失望した体験でもありました。

現在ギフテッド育児に奮闘中のご家庭でも、みなさんそれぞれの生活環境で直面する問題に、あちらこちらでぶつかってしまうのではと想像します。

自分たちだけでは解決できない問題が、目白押しですからね、ギフテッド育児の場合。

前例にならった定番の答えが見つからないギフテッド育児の道のりですが、親のサポートは、お子さんの優れた才能がまっすぐ伸びるために最重要のエッセンス。

つかず離れず、でしゃばり過ぎず(笑)、どんな状況であってもお子さんの「学びの芽」が折れないように親御さんが心がけてあげれば、なんとかなります。大丈夫!

解決できない問題に親がこだわりすぎると、家庭内に明るい風が吹かなくなってしまうので、お子さんと一緒に遊び心を忘れずに、ね。

肩に力が入ってしまっている方は、よろしければコチラ↓の記事へ。小・中・高校の一貫教育だったので、学校ではいろいろなことがありました(笑)。

タイトルとURLをコピーしました