スイスLGBTの道のり:ノンケの私、子連れでパーティ訪問し大騒動

スイスライフ

西ヨーロッパで同性婚を合法化していない国は、イタリア・ギリシャ・リヒテンシュタイン、そしてスイスの4カ国でしたが、2022年の7月1日から、スイスではようやく同性婚が合法化されます。2021年9月の国民投票で、同性婚合法化案が可決されたためです(賛成63%)。

「え〜っ、スイスの同性婚は来年から認可?」と思いませんか?

そうなのです。スイスは、欧州各国での同性婚合法化に大きく遅れをとっていたのです。

ヨーロッパの方が、日本より人の自由な権利が認められているかのような印象がありますが、スイスはとても保守的な国。

国政レベルでの女性の参政権が認められたのは1971年、地方政治(州)への参政権がスイス全土で認められたのは、なんと1990年という遅さ!

1990年って、昭和化石の私にしてみれば、昨日の出来事ですよ。

ちなみに日本で女性参政権が認められたのは、1945年でした。

スイスで同性カップルの友人に恵まれた私

LGBTマークのハートを囲む手

スイスに潜伏するようになってから、私には同性と暮らしている数人の友人ができた。

保守的なスイスという国で、外国人、しかもアジア人として生活することは、はっきり言ってとてもキビシイ。

「外国人」を公言しているわけではないが、私のように見た目だけでアジア人とわかる人間は、さまざまな偏見にぶち当たることが日常茶飯事。

LGBTの人たちは、そんな外国人の体験を、自分たちの人生に起きた偏見エピソードとダブらせて理解してくれるから、心が通じ合うことが多いのかしら、と私は思ったりする。

子連れで同棲ペアの誕生日パーティ訪問、幼稚園の先生を混乱させる

混乱する年配の先生

時は2007年、娘は当時幼稚園生だった。

幼稚園へ娘をお迎えに行った私は、「大事なお話があるから」と先生に呼び止められた。

2歳の頃から保育園にも通っていた娘は、私よりも人間関係の達人と思わせる性格で、当時からどんなもめごともするりとかわすタイプだったので、まさか先生にお叱りを受けると思わなかった母の私は、びっくりしたことおぼえている。

とても深刻な話なので、保護者全員が立ち去るまで幼稚園で待つように、と私は言われたため、娘はお友だちのお宅で少し預かってもらうことにした。

他の保護者が立ち去ったというのに、先生はなんだかモジモジと口ごもっていた。

お話があるとおっしゃっていたのに、一向に話が始まらない。

もう退職間際の先生は、子どもにも保護者にもとても人気のある方で、好きな相手に告白したいのにできない乙女のような姿で私の前に立ちすくむ先生の行動が何を意味するのかわかりかねた私は、困惑した。

意を決したように、先生は口を開いた。

「サリーちゃんが(娘)、お母さんと一緒にど・ど・同性カップルのパーティに参加したと、今日幼稚園で話したのですが…」

同性カップルという単語さえ、吃りながらの発言。

ここまで言い切った先生のお顔は、ゆでだこのように赤くなっていた。

けれども、「娘が母と同性カップルのパーティに参加」という文からは、大事な単語がいくつも抜け落ちている。

私が娘同伴で新宿2丁目に足を踏み入れてしまったかのような誤解が起きる言い方に変換されていたが、実際は「娘は私と一緒に、事実婚の同性カップルが催したお誕生日パーティに参加した」というだけなのよ。

同性カップル多数に出会った娘、週末の体験談を幼稚園でレポート

同性カップル友人の誕生日パーティのケーキ

スイスでは、ゼロのつくキリのいい年齢(20・30・40〜)で盛大なお誕生日パーティをお祝いする習慣がある。

お誕生日パーティを開いたカップルのひとりは私のテニスパートナーだったので、娘は赤ちゃんの頃から彼女たちと顔見知り。ウチに呼んだり、お呼ばれのときには、もちろん娘も一緒だった。

私たちがこのパーティに参加したのは、2007年。

スイスで同性のパートナーシップ登録を認める法律が施行された年だったので、友人のパーティは、誕生日とパートナー登録申請記念のお祝いを兼ねていたのだ。

パーティゲストの中には、このパートナー登録を済ませてまもない同性カップルが多かったので、話題も自然と、スイスでようやく認められた同性のパートナー登録、そして未来の同性婚の権利が熱いテーマになっていた。

好奇心が豊富な娘は、パートナー登録はなぜそんなにウレシイことなのか、私に聞いてきた。

「旅行で外国に着くと、あなたとママのパスポート、それから『家族手帳』を出して、『これは私です。私たちは家族です』って手続きの時に説明するじゃない?パートナー登録ができるようになった人たちは、これまでは自分たちが『家族』なのに、『私たちは家族です』って証明できるものがなかったの。でも、パートナー登録のおかげで家族の証明書ができたから、みんな喜んでいるのよ」

わが家では、娘はスイス国籍、私は日本国籍なので、外国での入管手続きの際、家族手帳のコピー提示を求められることが多い。コピー確認後、「家族でまちがいないですね」というセリフを何度も耳にしていた娘は、私のこの説明で納得し、パーティ主催者の友人にも、「家族になれて、よかったね」とお祝いを述べていた。

スイスでは同性パートナー登録が2007年に法律施行

「家族になって喜んでいた女の人たちのカップルが、お誕生日パーティにはたくさんいました」という話を、幼稚園児たちが月曜日の朝に報告する「私が週末にしたこと」で娘がレポートしたので、幼稚園の先生はたまげたというわけだった。

同性パートナー登録を認める法律が施行された年だとはいえ、LGBT関連のテーマは社会でタブー視されていた時代なので、幼稚園の先生が動揺した気持ちも、私にはわかった。

幼稚園の先生は、当時まだスイスで腫れ物を触るようなテーマだった外国人差別に敏感に対応していた人。

例えば、幼稚園にいた、ある外国人家族(ウチではない)が計画した子どものお誕生日パーティへの参加を、スイス人家族が渋っていたことがあった。
すると先生は、ご自分をパーティに招待するように外国人家族に頼み、「先生もとっても楽しみなパーティ」の雰囲気を作り上げ、パーティ当日にはスイス人が知らない外国の文化とスイス側参加者の溝を埋める役割を自然にこなしていた。

先生の優しさに、私は今でも涙が出てくる。

その先生が私に、「知り合いの『その道』の人はキチンと仕事をしているのか/なぜ『その道』の人が私の友人なのか」と、かなり立ち入った質問をしてきたのだが、先生の外国人偏見への敏感な対応を体験していた私は、先生にとって『その道』のLGBTが未知のテーマだから、LGBTの人たちを誤解していることが想像できた。

私の友人は新聞記者というお堅い職業で、しかも先生の購読紙の記者だとわかると、驚かれたご様子だった。

その後、私の友人からの「LGBTについて幼稚園で説明」という提案は断られたが、友人が先生に手渡したLGBT関連の記事は、すべて目を通されたようで、メディアでLGBTのことが話題になるたび、先生は私にご自分のコメントを伝えるようになった。

スイスのLGBTに希望を与えた、次世代の娘のパーティでの態度

スイスLGBT同性婚合法化に乾杯する3つのグラス

私の友人は当時、ちょうど50歳。男子禁制ではなかったけれど、パーティ全体の雰囲気はお年を召した女子校卒業生たちが、街で見かけるよりも体の距離が近いカップルとして楽しんでいる感じだった。

パーティで、特に娘が楽しんだおしゃべりは、ちょっと毒舌のイメージがあったゲストとの会話。

「私、子ども苦手なのよ。おチビさんはギャーギャー騒がないタイプみたいだけどさ、子どもってうるさいじゃん。それに、子どもって私たちが女同士のカップルってわかると、『あの人たち、変だよ!』とか騒ぐわけ。でも私は女だけど、パートナーには女性を選びたいの。ま、幼稚園児のおチビさんには、難しいだろうけど、もっと大人になったらわかる世界のことだからさ」

と娘に語り、ご自分のパートナーと手を取り合った毒舌お姉様に、娘はたずねたのだ。

「私、見かけは男の人だけど、心は女の人ならお友だちがいるわ。あなたは、それと逆なの?」

この発言に、毒舌お姉様はぶっ飛んだ。

「ちょっとちょっと〜、何よおチビさん。それってどういうこと?」

美容院でおしゃれする女の子二人

その日、娘は私たちが常連の美容院で髪をカットしてもらったばかり。赤ちゃんの頃からお世話になっている美容師さんは公言していないが同性の方と事実婚をしている人で、長年お店に通っている私と娘には、ご自宅での話の様子から自然とゲイバレしていたのだ。

娘は、「美容師さんは男の人の姿だけれど、中身は女の人だと私には見えるの」と、宜保愛子さんを彷彿とさせる発言をした。

毒舌お姉様は、「それで? おチビさんはその人をどう思うわけ?」と娘に聞き返した。

「私は、その人が好き。だって見て、この髪の毛セットしてくれたの、その人なの」

この日、パーティに招待されている娘のために、彼女の髪の毛をクルンクルンにセットしてくれた美容師さん。

大満足していた髪型を、娘は毒舌お姉様に自慢するように見せた。

毒舌お姉様は娘に名前をたずね、突然足をバタバタ踏み鳴らして「イェーイ!」と叫び声をあげ、ワイングラスをナイフで軽く叩き始めた。

そして、パーティゲストの注目を集めると、「みなさ〜ん、聞いて!私たちスイスのLGBTの未来は明るいことを、たった今、ここにいるサリーちゃんが示してくれました。私たちの未来に、乾杯!」と、高々とグラスを持ち上げたのだった。

空に届く虹

同性婚が許可されたら、教会で結婚式を挙げることを夢見ていた私の友人は、あいにく4年前に天国へと召されてしまった。

病気の告知を受けていた友人は、結婚式の代わりに自分の葬儀を教会で行い、葬儀セレモニーの内容はLGBTをテーマにしたい、と明言していたのだが、お葬式の会場になる教会とセレモニーを担当する牧師を見つけるだけでも、偏見のかべにぶつかって大変だったとこぼしていた。

同性婚がようやく認められるスイスを天国から見下ろしている友人はきっと、笑顔を見せているにちがいない。

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