麻薬中毒者と注射針が小学校の入学式で最重要のお知らせ/スイスの素顔

スイスライフ

スイスの首都・ベルンの中心地にある娘の母校。小学校の入学式で最も重要な保護者へのお知らせは、子どもが学校付近で麻薬中毒者に遭遇する場合の対応法と、路上で注射針を発見したときの対処法でした。

スイスの麻薬対応政策は斬新。国が公式に薬物を中毒者に配布

スイスの麻薬対応政策は斬新。国が公式に薬物を中毒者に配布。注射針とクスリ

スイスは、社会生活からドロップアウトしている麻薬中毒者を救済するために、1990年代から斬新な麻薬政策を試みてきた国。

国が公式に、医師や看護師が常在するヘロインやメサドン(薬物療法の薬剤)配布所を設置したおかげで、麻薬使用による犯罪と麻薬中毒者の健康状態の改善に、効果が認められています。

私がスイスに移住してきた1990年代半ばには、駅近くに麻薬中毒者の溜まり場があったので、不穏な空気が漂っていました。しかし昨今では、街(駅や公園)の雰囲気が断然明るくなった印象を受けます。

美しいユングフラウやアイガーの絶景からは想像もつきませんが、街を徘徊する麻薬中毒者の存在も、スイス社会のすっぴんの姿です。

関連サイトSWI swissinfo.ch「スイスはどこまで麻薬を合法化するのか?」
(更新日2021/03/26) (閲覧日2022/03/21)

小学校の新入生が直面する厳しい社会現実は、麻薬中毒者との近距離遭遇

小学校の新入生が直面する厳しい社会現実は、麻薬中毒者との近距離遭遇。ヘロインを注射する人

小学校の入学式当日のこと。

大きすぎるランドセルを背負って、ドキドキしながら初登校する娘と私は、学校への道のりで突然、目の前を横切ってきた若い女性と衝突しそうになりました。

私が外国人のためでしょう、女性は何度も「アイムソーリー」と繰り返しました。だけど驚いたのは、彼女の肘の内側部分に、注射針が突き刺さったままだったこと。

時間は早朝7時45分。娘は恐怖心からか、ガシッと私の手を握ってきましたが、私自身初めて体験することなので、どう対応すればいいのか、まったくわからない。

「何が起きたの?!」と周囲を見渡すと、私たちの後ろを歩いていた新入生の親子は私たちと同様に、目を見開いていました。

でも、登校中の他の生徒たちは、全然動揺していないのです。

学校までの通学路はメインロードから一本離れた坂道なのですが、学生(と保護者)以外は通行人がいないせいか、一見して麻薬中毒者とわかる容貌の人たちが、あちこちでたむろしていると、このときに私は気づきました。

小学校入学式は「麻薬中毒者と注射針への対処法」でスタート

小学校入学式は「麻薬中毒者と注射針への対処法」でスタート

「新入生のみなさん、初めまして!」という明るい声と温かい笑顔とは裏腹に、校長先生の最初のお話は、学校付近で日常的に起きる麻薬中毒者との遭遇時と、注射針への対処法についての説明でした。

  • 国公認の薬物配布所が、学校の建物近辺にいくつかあるため、毎日の通学時/学校生活で麻薬中毒者に出会うこと
  • これまでに、麻薬中毒者が生徒に暴行を働いた事件はないので、生徒から挑発しなければ何も起きないと言えること
  • ただし、投薬直後で足元がふらついている中毒者も少なくないので、中毒者からは距離を置いて歩くこと
  • 正式の薬物配布所では、注射針の管理を完全に行なっているが、通学路にたむろしている中毒者による使用済み注射針の投げ捨てが多発しているので、地面にも注意を払いながら歩く必要があること
  • 通学路で注射針を発見した場合には、学校の教諭にすぐ連絡をし、けっして自分で拾わないこと

校長先生のお話を伺って、愕然とした保護者は私だけではありません。

「警察に連絡して、対処してもらうわけにはいかないのですか?」と保護者のひとりが質問しました。通学路に続く道にある最後の建物は、ベルン警察署の本部なので、当然の質問です。

「警察も学校の通学路の状態を把握していますが、これが私たちスイス社会の現実。これ以上の社会的な処置は、現状では不可能なので、生徒も保護者も現実に直面しながら学校生活を送る以外、方法がないのです」と、校長先生は回答していました。

最後に保護者へのお願いとして、注射針を安全に収拾するために、フタ付きのガラス容器が必要なので、自宅でマーマレードなどの空き瓶が出たら、学校に寄付してくださいとのことでした。

荒療治の社会勉強で子どもたちは麻薬中毒者の背景と現実を把握

荒療治の社会勉強で子どもたちは麻薬中毒者の背景と現実を把握

娘の母校は学生数の少ない私立校なので、学年を超えた生徒全体のつながりがありました。

入学当時は娘が通学路で恐怖感を覚えていたので、私たち両親が学校の入り口まで送り届けるつもりだったのです。でも、年上の学生たちが新入生に声がけをして一緒に登校する校風があるとわかり、ほとんどの保護者が麻薬中毒者の溜まり場がある「最後の100メートル」は高学年の生徒さんにお任せする形を受け入れていました。

年上の生徒さんが、具体的にどう対応すべきなのか実践している姿、そして「私も最初は怖かったけど、こうすれば平気だよ」と話してくれることは、新入生にとって効果的なサポートでした。

また、学校の先生が、麻薬中毒者との遭遇で生徒が疑問に思ったことやネガティブな気持ちを話す機会を積極的に作っていたことも、「なぜ麻薬中毒になるのか?」という問題を理解するために有効的でした。

学校で活発に行われたディスカッションから、麻薬中毒を病気と受け止め、薬物がもたらす危険性と、自分が万一薬物を使いたくなったら、どう対応すべきかなど、豊かな人生勉強の場が提供されていました。

麻薬中毒者は小学生にとって反面教師。想像を絶する接近遭遇から学ぶ

麻薬中毒者は小学生にとって反面教師。想像を絶する接近遭遇から学ぶ

幸い、通学路では何事も起きずに過ぎましたが、薬物配布所の真横にある学校の工作教室では、いくつか忘れられない事件を娘は経験しています。

朝イチで工作の授業がある場合、工作の先生が建物のドアを開けるまで、生徒たちは隣にある薬物配布所の開始時間を待っている麻薬中毒者のすぐ横で、道に待機しなければなりません。

薬が切れてイライラ絶頂の麻薬中毒者が、小学生のおしゃべりを挑発と捉え、生徒のひとりを捕まえて口論になったことがありました。

数人の生徒がすぐに警察署と校長室に走る一方、現場に残った生徒は麻薬中毒者に唾を吐かれた生徒の感染症を防ぐため、手持ちのミネラルウォーターで洗顔させるなど、大騒動。この事件後、朝イチの工作の授業を通常の建物で行われる授業と変更することで、学校側は問題に対応していました。

極寒日にベビーカーを置き去りにした麻薬中毒者が小学生に心情告白

極寒日にベビーカーを置き去りにした麻薬中毒者が小学生に心情告白

また、あるときには工作室の窓から、ベビーカーを外に置いたままで薬物配布所に入って行った麻薬中毒者に、生徒たちが気づいたことがありました。

ウチの娘もそのひとりだったのですが、子どもたちは麻薬中毒者とベビーカーという組み合わせに驚き、ベビーカーを薬物配布所まで押してきたにも関わらず、赤ちゃんを抱き上げなかった中毒者の行動に、疑問を持ったそう。

しかも外はマイナス気温の極寒日。薬物配布所を訪れる麻薬中毒者は、薬物を処方されるため、すぐには外に出てこないと生徒たちも知っていたので、工作の先生に「ベビーカーが空かどうか確認してほしい」と頼んだところ、やはり赤ちゃんがベビーカーにいたことが判明!

その数週間後のことです。赤ちゃんをベビーカーに置き去りにしていた麻薬中毒者は、娘たちの工作の授業を訪れ、生徒の前で話をさせてほしいと、工作の先生にお願いしました。

「私は、これでも自分の子どもを愛しています。でも、大切な子どもをベビーカーに置き去りにするような、ダメな親です。小学生のあなたたちが気づいてくれなかったら、この寒い中、私の子どもは病気になるか、凍死していたかもしれない。だから、あの子を再び施設に預けて、今は1日も早く中毒症を克服できるように、専念すると決めました。みんなは私と違って、頭の良い子たちだと思うけど、もしこの先、心が弱くなる出来事が起きても、私のように麻薬に走ることはしないでください。赤ちゃんと私を助けてくれて、ありがとう」と、訴えるように子どもたちに話したそうです。

このときの体験は、子どもたちにとって衝撃的でした。

高校生になって、クスリに興味を持つ子がいると、ベビーカー事件に遭遇していた生徒たちは必ず、この中毒者のメッセージを口にしていたとか。

小学校の入学式で、校長先生が「荒療治だけれど、麻薬中毒者の厳しい現実を身近で体験する生徒たちは、麻薬に手を出さない大人に成長するはず」とお話しされていた通り、予防効果は抜群でした(と、信じたいです)。

・・・ただし、薬物のなかでも大麻は別物。スイス社会における大麻の存在については、また別記事でお届けします。

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