スイスで保育園の代わりにベビーシッター探し【一難去ってまた一難】

スイスライフ

娘が誕生する前に入園可能の保育園を探し始めた私、待機番号149人目の現実にぶつかり、代わりにベビーシッターを探すことに。一件落着かと思いきや、またも思いがけない障害が私を待ち受けていました。

今回の話は、コチラの記事↓の続きです。

この記事の内容は、私の体験談であり、特定の人物・国・文化への批判や差別を意図するものではありません。

スイスで保育手段探しが難航/さすがに私も楽天的でいられなくなる

保育所の空きが見つからず、悩む妊婦

大学附属の保育園に申し込めば、入園は可能とわかっていたものの、当時の自宅から保育園まで40分の距離。しかも、大学の所在地はフランス語圏ということもあり、ドイツ語圏のベルンを生活の本拠地にしていた私は、泣く泣くこのアイデアを断念することに。

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国政の連邦レベルで女性が参政権を得たのは1971年のスイスの人たちは、保育に関しての考えがとても保守的。

まわりを見渡しても、自宅に住み込みのナニーを雇っていた夫婦揃ってスーパーカップルの教授たち以外は、みなさん家庭内で子どものお世話をやりくりしていた人ばかり(そもそも、大学研究者は子なしの集まりだったしね…。←これについてはまた別記事で)。

唯一、近所にいたスウェーデン人のママさんがシッターを雇っていましたが、会うたびに「また新しいシッターを探している最中なの…」と愚痴る彼女の様子から、私はとても不安になっていました。

大事な子どもを預ける相手への、親側の期待が大きいのかもしれません。でも、このスウェーデン人のママさんは、数年間隣人としてお付き合いをした私にしてみると、分別のある、とても感じの良い人でした。

その彼女からシッターさんたちとのガッカリ体験談を聞くたびに、「1対1の関係だと難しいのかな…。やっぱり保育園の方がいいかしら…。だけど、入園はムリそうだし、どうしよう」と私の悩みは膨らんでいったのです。

スイスで保育園探しが難航する私に、手を差し伸べるご近所さんの輪

差し伸べられる手

安定期に入ってからの私は、毎日1〜2時間の散歩を日課にしていました。

そんなある日のこと。のちに娘の認知能力を大混乱させた美人双子姉妹のお母様との立ち話で、「出産後のお手伝いは誰がするのか」と聞かれた私。

実母がすでに逝去していること、そして義両親の手助けはないこと。しかも、保育園の入園もムリなので、ちょっと途方に暮れている…なんて本音をポロリとこぼしてしまったのです。

お優しいこの方は、「双子を育てるのも、外国で初めての子どもを育てるのも、ストレスが多いことには変わらない」と、私に同情してくださいました。

切迫流産の危険が去ったばかりで、異国の地・スイスで上手く子育てができるかどうか、不安でたまらなかった私には、心に染み入る他人の優しさでした。

スイス生活:親切な隣人のツテで、シッターさん決定!?

ありがとうとホッと胸を撫で下ろす人

その立ち話の日から数日後のことです。

散歩の途中で、美人双子姉妹のお母様に呼び止められました。

なんと、私が安心して子どもを預けられると彼女が太鼓判を押せる女性を、紹介してくださるというのです。

その女性は、理系の専門職だった人。ところが勤務先が別会社に吸収され、退職まであと2年なのにバーゼルへの引っ越し、または長距離通勤に抵抗があったその女性は、自主退職の道を選んだそう。

代わりに、自宅で子どもを預かるシッター業をプロフェッショナルとしてスタート。
自宅の一部をシッター業務に適した設計にリノベーションしたその女性と、美人双子姉妹のお母様はかれこれ20年ほどお付き合いのあるご近所さんで、すでにこの女性に子どもを預けている家庭も大満足。近所で評判が高いシッターさんだと言うのです。

「あなたのことを話したら、曜日の指定を彼女ができるなら、週に3回まではOK。『まず、子どもを預かる部屋を見に来るがてら、ウチに来てください』ですって」と信じられない提案が!

その週のうちにお宅に伺い、シッターさんとのお見合いをした私。シッターさんの包むような優しい笑顔と、プロ意識の高さに安心した私は、「これでひと安心」と思ったのですが…。

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娘が誕生してから3ヶ月目のこと。週1で、2時間ほどシッターさんに娘の世話をお願いすることになりました。

実は、このシッターさんを紹介される前に、別口で紹介されたシッター候補の女性が、もうひとりいたのです。

ところがシッター候補だったその女性は、私が専業主婦ではないとわかった途端、「あなたのように母親にもなりたい、だけど大学にも行きたいなんてわがままな人のお手伝いはしたくない」と、向こうからシッター役を断られた経緯がありました。

でも、双子姉妹のお母様から紹介されたシッターさんは、私がまだ学びたいという気持ちにも共感してくれました。

さらに「あなたが病気などで困ったときには、遠慮しないで私に電話してきて。子育て中には、誰かの助けが必要になるときもあるから」と、ワーキングママとして3人のお子さんを育て上げた経験から、緊急時の配慮までしてくださったのです。

双子姉妹のお母様、そしてシッターさんの存在に、何度感謝したか、わかりません。

ベビーシッター問題解決と思いきや…/スイスの厳しい現実に直面

仲間はずれになる黒い影

けれども、そんな心休まる日は、長くは続きませんでした。

娘をシッターさんに毎週預け始めてから、ひと月あまり経ったある週末のことです。シッターさんから、「どうしても直接お話ししたいことがある」と、私に電話がありました。

シッターさんのいつにない真剣な声。その日は娘が私と自宅にいたのに、いったい何事なのか。

シッターさんのお話は、私がまったく予想していなかった内容でした。

シッターさんが週に5回預かっている姉妹(幼稚園児)の両親から、私の娘を世話するのをやめてほしい、と話があったそう。

シッターさんがお世話していた子どもは、この家族の姉妹以外、ウチの娘も含めて計7人。

私の娘だけ反対された理由は、私がアジア人だから(スイスでは通常、私は日本人ではなく、アジア人です)。

シッターさんは、人種差別をするこの両親に、猛然と腹を立てていました。

でも問題なのは、失業が確定したシッターさんが、次の職が見つからなければ、持ち家を手放すしかない。だけど、まもなく60歳だった女性が新たに仕事を見つけるのは、たやすくない。

そう悩んでいたときに、仕事としてシッター業を営むことを提案し、個人経営者として必要な業務手続き一切を代行してくれたのが、私へのクレームをあげたこの両親だったこと。

相手への義理があるから、人種差別をするような人柄だと判明したからとはいえ、向こうの子どもたちを預からないという選択はできない。そう語るシッターさんは、とても心苦しそうでした。

「私自身、納得できないことなのだけど、そういう事情でお嬢さんは、もう預かれない。まさかこんなことが起きるなんて…」と話すシッターさんは、涙を浮かべていました。

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私は大学でも、かなりの人種差別を体験しました。

ですが、スイスで大学入学後に唯一ふるい落としの選抜試験がある「心理学部/学科」という特別な環境が、過剰な差別を引き起こす要因に違いない、と私は考えていたのです。

選抜試験に合格して、心理学を学ぶことができるのかどうか、学生の誰もが苦悩していました。

自分の未来が見えない若者にとって、ドイツ語も完璧にマスターしていないアジア人・主婦・30代半ばの学生は、自分自身の不安と苛立ちのはけ口にする、絶好の相手ですから。差別されていたとはいえ、私には彼らの気持ちが理解できたのです。

けれども、このシッターさんとの件で、私はとても不安になりました。

スイスで育つ娘には、この先どんな困難が待ち受けているのか。私は、娘をすべての困難に打ち勝てる強い子に育てることができるだろうか。

打ちひしがれた私の、スイスでのベビーシッター/保育園探しが、次の局面を迎えました。

〜つづく〜

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