安楽死が「死」の選択肢として、社会で認められているスイス。そのスイスで暮らす私の友人夫婦の奥様が、50代半ばでアルツハイマーを発症し、安楽死の権利と生きる自由について、私も気持ちが揺れています。
この記事には、「不治の病にかかった人は、安楽死を選べばよい」と決めつける意図はございません。安楽死が容認されているスイス社会で、それでも生きていく自由を個人が選ぶ場合、その家族にもたらす心情の波紋を、私個人の体験から綴ったものだとご理解いただけますよう、よろしくお願いいたします。
安楽死が年々増加するスイス:自殺幇助は友人同士でも話題の一部
私には年上の友人が多いせいかもしれませんが、「リビング・ウィルの作成」と「自殺幇助を受ける可能性」については、スイス人の友だちとの会話で、しばしば話題にのぼります。
【スイスでの死】リビング・ウィルの作成は自己責任と家族への愛情表現
健康なうちにリビング・ウィルを作成することは、意思表明を通じて自己の人生に責任を持つ行為であるとともに、大切な家族への思いやりだと、スイス人の友人たちは口にしています。
愛する家族が生死の境目にいるときって、どの答えも正解ではないというのが、脳死を宣告された実母に付き添っていた体験から私が思うこと。
でも、この世を去りゆく家族にとって、最も悔いのない答えがリビング・ウィルに記してあることだという確信は、見送る側の家族の心の支えになります。
【スイスでの死】安楽死は人生の綺麗な幕切れを可能にする権利
- 家族が自殺幇助を受けた人
- 今現在は健康だけれども、すでに自殺幇助団体のメンバーになっている人
- いざというときには、自殺幇助団体の助けを借りて、安楽死を選ぶ予定の人
…と、私のまわりをざっと見回しても、「安楽死を選べる権利」がスイス社会に浸透していることは、自殺幇助のテーマがまったくタブー視されていないことからも、明らかです。
私自身もそうなのですが、「いざというときには、『安楽死』を選べる」こと自体が、心の安定剤になっているようだと申し上げても、過言ではない印象があります。
スイスで法律上認められている「自殺幇助」とは
スイスで法律上認められている「自殺幇助」とは、患者自身が医師から処方された致死薬を体の中に取り込み、安楽死に至る方法です。
・治る見込みのない病気
引用元:SWI swissinfo.ch 年間1000人超が選択 スイスの安楽死 (更新日2020/07/31) (閲覧日2022/02/24)
・耐え難い苦痛や障害がある
・健全な判断能力を有する
自殺ほう助以外に苦痛を取り除く方法がないこと、突発的な願望でないこと、第三者の影響を受けた決断でないことも考慮される。
というのが、複数ある自殺幇助団体が共通して定めている、安楽死の条件とのこと。
どの自殺幇助団体でも、度重なる審査があるので、申請をしてから実際に安楽死の許可が下りるまでには、数ヶ月かかると言われています。
50代半ばで妻がアルツハイマー発症:友人夫婦からの連絡
夫同士は毎月数回、一緒にスポーツイベントを訪れ、お相手の奥様と私を含めて4人では、年に3〜4回互いの家を訪れてディナーを楽しむ友人夫婦と私たち。友人付き合いは、かれこれ25年ほど続いています。
とはいえ、コロナ禍で自粛生活を余儀なくされていましたから、4人で最後に会ったのは、2019年の12月。夫たちも、スポーツイベントは禁止/どちらかがコロナ感染者に接触したために自宅隔離と、なかなか顔を合わせる機会がないまま、時が過ぎていきました。
その友人夫婦のご主人・Mさんから夫に連絡があったのは、2021年末のことでした。
まだ50代半ばの奥様・Sさんが、まさかの若年性アルツハイマー発症。コロナの影響で、スイスの病院はどこもパンク状態でしたから、Sさんが必要とする検査も遅れをきたしているけれど、Sさんの脳の状態はかなり思わしくない、ということでした。
必要であれば「積極的な死」を迎え入れることで、自分の望み通りに人生の幕引きをしたい、という意見を尊重するスイス社会。そのためか、Sさんが若年性アルツハイマーにかかったと聞き、初めの混乱がややおさまった私の胸に浮かんだのは、安楽死を法律で容認しているスイスにいてよかったという、一種の救われるような思いでした。
【安楽死の権利か、生きる自由か】意見が分かれる友人夫婦の葛藤
先週末、ご主人のMさんがひとりでわが家を訪れました。
そしてMさんは、奥様・Sさんの「生きることしか見据えていない計画に、押しつぶされそうだ」と、胸の内を吐露しました。
MさんとSさんのふたりの子どもたちは、海外の大学に通っているため、まだSさんの病状を知りません。けれども、まだ20代の彼らはまもなく、母親の病を受け止め、自分たちも遺伝子検査を受けるべきか決断する必要があります。
そして、毒親だった実父(認知症)の壮絶な介護体験を終えたばかりのMさんは、「子どもたちを介護要員に巻き込むことで、彼らの人生を変えたくない。だけど、Sの計画には『自分が生きる自由』しか出てこない。僕なら違う決断をするから、彼女をサポートしていく自信がない」と、悩んでいるのです。
私はMさんのお話を伺って、ハッとしました。
安楽死が認められているスイス社会には、いざとなっても安楽死ではなく、「生きる自由」を選択するケースもあることに、このときまで私は気づかずにいたのです。
当然、どちらも個人の権利です。
けれども、安楽死が容認されている社会で、あえて生きることを選ぶ決断は、病に苦しむ本人の周囲にいる人たちに、大きな波紋を広げるようです。
「権利と自由には、義務と責任が伴う」 ー なんと難しい問題なのでしょうか。