がんのため、45歳の若さで2022年4月にお亡くなりになった緩和ケア医師、関本剛さんの著書<がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方>(宝島社)から浮かび上がる関本さんの崇高な精神と威風堂々たる生き方に、ただただ敬服。
毎日の生活の中では、あえて触れることのない最重要テーマ、「私はどう生きるべきなのか」という問いが、読書中・読後に何度も頭をよぎりました。
関本剛さんが、本としてご自分の思いの丈をこの世に残してくださったことに、心から感謝申し上げます。
アマゾンへのリンク:<がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方>(宝島社) 関本剛著作
関本剛さんの著書から読者に伝わる崇高で清々しい「よい生き方」
43歳の若さでステージ4の進行肺がん宣告を受けた関本剛さんが、残された余命期間に患者・緩和ケア医師・家族の立場から、ご自分の人生と真っ直ぐに向き合い、複雑な胸の内を本の中で、包み隠さず綴っていらっしゃいます。
あまりにも正直な言葉に、「読者の私が、ここまで立ち入った内容を目にして、かまわないのだろうか」と、心苦しくなる部分が、少なからずありました。
本の冒頭部分で、日本における死生学の草分け的存在である故アルフォンス・デーケン上智大学名誉教授の言葉から、関本さんがいかにご自分の「最期に進んでいく際の生きる目的」を見つけるに至ったのかが、記されています。
関本剛さんの生き方は、『よく生き よく笑い よき死と出会う(新潮社)』というデーケン名誉教授の本のタイトルそのもの。
関本さんはなんと清々しく、崇高な精神の持ち主なのか!
関本剛さんはがん特有の苦痛にも緩和ケア医と患者の立場から言及
著書の中で関本さんは、がんに伴う苦痛を、医師と患者としての経験から、記していらっしゃいます。
【がんに伴う4つの苦痛】
- 身体的苦痛:痛み・吐き気・息苦しさ
- 社会的苦痛:仕事・経済面
- 精神的苦痛:不安・抑うつ
- 実存的苦痛:人生への不公平感・生きる意味の喪失
参照元サイト:Aflac <関本剛さん 肺がんを経験〜いっしょにらくに長生きしましょう〜(更新日2021年9月)>(閲覧日2022/12/09)
著作の本文内では、苦痛に関する4点は、項目分けはされていません。
しかし、がん宣告を受けた患者さんとご家族が、いかに苦痛による負担を少なく、人生を生き抜くことができるのか、自らの体験を反芻して、緩和ケアの専門医・関本医師が綴る渾身のメッセージは、両者の気持ちがわかる人だけが世の中に発信できる、非常に貴重な内容です。
関本剛さんの著書から感じる日本の生き方とスイスの死に方への焦点の差
私が在住しているスイスは、皆さんもご存知かと思いますが、安楽死が可能な国。
その影響かどうかはわかりかねますが、少なくとも私のまわりにいる誰かがこれまで、治る見込みのない病気にかかった場合、告知からまだあまり時間が経っていない段階にもかかわらず、「安楽死の選択」がテーマになることが多いというのが、私の個人的な体験です。
私見にすぎませんが、告知から「死」を迎え入れるまでの生き方よりも、「どのように死にたいか/死ぬべきか」という問題に、焦点が当たるケースがスイスでは多いのでは…と感じています。
つい先頃も、死のギリギリ直前まで、家族と職場との絆を大切に生きることを目的にしていた夫の同僚に対して、職場では批判的な声が多く上がったという出来事があったばかり。
もちろん、スイス人全員がそうだと申し上げているわけではありませんし、私が体験した出来事について、善悪の判断をする気持ちもございません。単なる私の経験値なのですが。
関本医師ご本人だけではなく、緩和ケア医の先駆者である関本雅子医師がお母様だという環境が、私が本から受けた印象に、影響を与えているのかもしれません。
しかしながら、<安楽死を遂げるまで>の著者、宮下洋一さんが取材・執筆中に感じた日本と海外における「違い」も、もしかしたら「生き方」と「死に方」への焦点の差にあるのではなどと、考えてしまいました。
死してなお生きる意義を懸命に説く関本さんの著書を前に脱力
スイスに生まれ、後にアメリカに移住した精神科医、エリザベス・キューブラー=ロスさんが提唱した「死の受容プロセス」は、関本さんの本の中でも引用されています。
- 第1段階「否認」(現実の否定)
- 第2段階「怒り」(「なぜ自分が」という感情)
- 第3段階「取引」(死を回避する条件を考える、神にすがる)
- 第4段階「抑うつ」(運命に対し絶望する)
- 第5段階「受容」(希望との別れ)
引用元:関本剛<がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方> p.20
心理学(グリーフケア)においては「死の受容プロセス」は、死に直面する本人とその家族が、悲しみを乗り越える際に生じる経過だと言われています。
関本さんは正直に、ご自分のお気持ちが「死の受容プロセス」通りには整理できないと述べていらっしゃるのですが、家族の立場で死の受容プロセスを経験した私は、30年ほどの時を経ても、いまだに自分の運命を受け入れ難いという本音に時々、悩まされています。
アラサーで両親が他界した経験を、少しでもポジティブに受け止めたいと思ったことが、スイスで心理学を学ぶと決意した原因のひとつでもあるのですが、生きる意義を求めて前向きに取り組むのではなく、変えられない過去に立ち止まり、時間を無駄にしている自分の情けなさが思いやられて、読書中に脱力感さえ味わいました。
けれども、関本さんとの比較により生じた私の脱力体験は、「生きる意義」を求め続けることの大切さを、肝に銘じるための警鐘だと、読後にひしひしと感じました。
お別れのメッセージ動画で「最高の人生」と言える関本医師の自分らしさ
神戸新聞社による<1000人を看取った緩和ケア医、45歳の死 がんに侵されながらも「自分らしさ」貫いた最期の日々>というYouTube動画↑がきっかけで、関本剛さんの本を拝読しました。
40代半ばにして余命わずかという段階で、自分の人生を振り返り、
一言で言うと“最高の人生”でございました
引用元:YouTube動画 神戸新聞社<1000人を看取った緩和ケア医、45歳の死 がんに侵されながらも「自分らしさ」貫いた最期の日々>
と、葬儀用のお別れのメッセージでキッパリと言い切れる関本さんは、緩和ケア医として人生を全うされただけではなく、人格・人徳に優れたお方だと言う様子は、動画からも明らか。
いったいどれだけの人が、関本医師のような態度で、まもなく訪れる自分の最期を冷静に受け止め、自分らしさを保ったまま、お別れの挨拶を口にできるのか。
関本さんがお選びになったメッセージ動画と葬儀用のBGM、エドワード・エルガーの『威風堂々』は、ご本人の生き方を象徴しているようで、素敵なセンスも伺えます。
関本さんの診断宣告後の足跡を本で知るにつけ、「神はなぜ、この世が特に必要としている人たちを、早々に天に召されるのか」という、私の心にわだかまりとして存在している、どこにもぶつけようのない疑問が頭をもたげたのも、否めない事実です。
ご自分の闘病体験さえも、患者として新境地を学ぶ機会にし、最期の瞬間まで自分らしさを失わずに、人として成長し続ける生き方を実践された関本医師が本を通じてこの世に残してくださったメッセージは、時を超えて、多くの人々の生き方に影響を与えることでしょう。
私自身は、関本さんの本により、あらためて自分自身の生き方を考え直す、とても良い機会を頂戴しました。本当にありがとうございます。
関本剛さんのご冥福と、ご家族のご多幸を、心よりお祈り申し上げます。
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息子さんの死という辛い体験を、緩和ケア医療に反映させ、さらに患者さんとそのご家族に寄り添う形で診察を続けていらっしゃるお母様・関本雅子医師。
親子共に素晴らしいお人柄のおふたりに、ただただ、頭が下がる思いです。このようなお医者様が存在することに、感謝。