「ヒトは必ず死ぬ」という事実は、私たち人間に共通している現実問題。
運命は不平等だけれど、どうあがいても変えようのない「死という結末」が既定のエピローグである人生で、誰もが自分に降りかかる難題に直面しながら、命が消える瞬間まで、生きて行く…。
作家・山本文緒さんが、人生の最期に抱えた課題は、「余命4ヶ月=120日をどう生きるか」という最難関のレベル。
ご自分と周囲の人々を淡々と観察し、ときにはユーモア混じりに苦しい胸の内を吐露する山本文緒さんの日記は、最期まで「書くこと」を貫いた作家魂と素晴らしいお人柄が漂う作品です。
『無人島のふたりー120日以上生きなくちゃ』山本文緒さんの経歴
- 1962年、神奈川県横浜市生まれ
- OL生活を経て、当初は少女小説家としてデビュー
- 1999年、一般文芸作品の『恋愛中毒』で第20回吉川英治文学新人賞受賞
- 2000年、『プラナリア』で第124回直木賞受賞
- 2003年、うつ病のため執筆活動を休止。6年間闘病
- 2021年、『自転しながら公転する』で第16回中央公論文芸賞を受賞
- 2021年10月逝去
- 2022年10月『無人島のふたりー120日以上生きなくちゃ』刊行
『無人島のふたりー120日以上生きなくちゃ』作品のメインテーマ
突然、すでに治療法がないステージの膵臓がんだと診断され、緩和ケアの道を選んだ山本文緒さんが、残された余命4ヶ月の間に何を感じ、思い、どのように生きたのか。
そして、まもなく人生の扉を閉じる山本さんは、パートナー・ご家族・お友だち・親しい仕事関係者の方々とどのような経験を共有したのか。
それらの証が、まるで幽体離脱しているかのように冷静な自分自身への観察眼と、周囲の人々への思いやりと感謝にあふれた言葉で、綴られています。
『無人島のふたりー120日以上生きなくちゃ』私の読書感想
読書中、さりげないのに鋭く突き刺さる描写に胸がつまり、何度か山本さんと一緒にむせび泣いた箇所がありました。
けれども、山本文緒さんは「自分イジリ」がとてもお上手な方。
余命たったの4ヶ月という深刻な事態で、さまざまなつらいことが起きているにもかかわらず、読者がフフッと笑わずにはいられないユーモアあふれる文章がところどころに顔を出しています。
例えば、
- 『120日後に死ぬフミオ』としてSNSで更新したら、パクリだと叩かれるか、それとも本の出版よりバズったかと自問自答
- 余命宣告をされ、安らかな気持ちになるどころか、神様に対して「このボケ!」とたてつきたくなる本音
- パートナーの方が作ったホットケーキをワクワクして口にしたら、山本さんは絶対買わない「おからパンケーキ」だとわかり、ふくれる
- 体調が悪化したため、飲み会の一次会のように「日記を中締め」し、残りは二次会的に書くというたとえ
など。
残りのページが少なくなるにつれ、当然のことながら山本さんの体調も悪化します。
それと同時に、全編を通じて織りなされる山本文緒さんとパートナーの方を結んでいる絆が、ますます強く浮かび上がってくるのが、とても印象的。
まさにおふたりは『無人島のふたり』のように、悲しい別れの時に向けて、手に手を取って支え合うのです。
大好きになれる相手にめぐり逢えただけではなく、良い関係性を築き上げるためにおふたりが日々努力していたからこそ、こんなにも深い信頼関係と愛情が育つのですね。
執筆が叶わぬ新作のアイデアを披露する部分や、『自転しながら公転する』が受賞したからこそざわつく複雑な想いが綴られている箇所を読むと、一読者の私でさえ悔し泣きしたくなるのに、ご本人はどれだけおつらかったことか…。
与えられた運命で、力尽きるまで「書くこと」に情熱を傾けていらした山本文緒さんは、
明日また書けましたら、明日。
引用元『無人島のふたりー120日以上生きなくちゃ』電子書籍版p.77
という、いかにも作家らしい最期の言葉を最後のページに残して、永眠されました。
本を読み終えた直後は、山本さんの本はもう出版されないのだと不公平な運命に腹が立ち、とても悲しくなりましたが、時間の経過とともに、描写されていた「人のつながり」が思い出されてくるのは、山本文緒さんの優しさが、残り香のように漂うせいかもしれません。
来世もご主人とたくさん旅行に行きたいと願っていた山本さんが、訪れたい旅行先で挙げていた国のひとつが、スイス。
次回、私がスイスアルプスを見ながらトレッキングをする際には、天国の山本文緒さんにスイスの景色が届きますようにと、願わずにはいられません。
ご冥福をお祈りいたします。
参照リンク:
フリー百科事典ウィキペディア日本語版 <山本文緒>(更新日2022/12/30 00:08 UTC)(閲覧日2022/01/11)