【育児は母の役目という無意識の偏見】ケガした子のお迎え役は母親?

エッセイ

子どもの学校から、親に電話がある時って、本当にドキッとしますよね。これこそまさに、「便りのないのは良い便り」。

当時小学2年生だったわが家の娘が、「ケガをしたので、すぐ迎えに来てください」と学校の先生から連絡があり、とても動転した私。

そして、「父親と母親のどちらが『すぐに』学校に駆けつけることができるのか」について、その後先生と交わしたやり取りは、育児においての「父親と母親の役目に対する無意識の偏見」を象徴した出来事でした。

【育児は母の役目という無意識の偏見】ケガした子のお迎え役:事の顛末

【育児は母の役目という無意識の偏見】ケガした子のお迎え役:事の概要
  • 当時小学2年生だった娘が、休み時間に凍った地面で転んでケガ
  • 学校の先生から「すぐ迎えに来てください」と母親に電話連絡
  • 勤務先から学校までかかる時間:父親10分/母親2時間
  • 「ケガした子のお迎えは母親」との先生の「無意識の偏見」で押し問答
  • 一件落着後、私たち夫婦が抱えた心のモヤモヤ

【育児・家事時間の男女差】母親の役目偏重を示す調査データ

【育児・家事時間の男女差】母親の役目偏重を示す調査データ
引用元:東京都生活文化スポーツ部 <令和3年度男性の家事・育児参画状況実態調査(速報板)>(公表日2021/09/24)(閲覧日2022/09)

東京都が公表した「令和3年度男性の家事・育児参画状況実態調査」によれば、子育て世代における週平均1日あたりの「家事・育児時間の男女差」は、5時間20分。
子育て世代=未就学児を持つ男女

  • 男性:3時間34分
  • 女性:8時間54分

ここで東京都のデータをご紹介した意図は、「だから、男性は育児・家事をしなさすぎ!」と、目くじらを立てるためではありません。

現実問題として存在する「父親と母親の役目の偏重」は、各個人ではなく、社会全体で取り組まなければ解決不能な問題ですものね。

もちろん、私の夫が使用した食器を自分で片付けないようであれば、私も雷を落としますけど、それとこれとは別問題(笑)。

【父親と母親の役割への無意識な偏見】アンコンシャス・バイアスとは

【父親と母親の役割への無意識な偏見】アンコンシャス・バイアスとは

男性も育児や家事はできるのに、「女性が負担して当然」のような社会にはびこる無意識の認識は、「アンコンシャス・バイアス」によるものです。

アンコンシャス・バイアスとは?

これは、人がある社会集団に対して有する固定観念のことである。自分や他者を判断する際、過去の経験、社会・文化的習慣、環境などから自身が気付かずに生じる偏った見方や考え方、ステレオタイプに基づく偏見のことであり、マイナスのインパクトを生じさせる(Filut, Kaatz & Carnes,2017)。

引用元:中坪史典, 木戸彩恵, 加藤望, & 石野陽子. (2019). 女性・ 母親に向けられるアンコンシャス・ バイアスという眼差し. 広島大学大学院教育学研究科紀要. 第三部, 教育人間科学関連領域= Bulletin of the Graduate School of Education, Hiroshima University. Part. 3, Education and human science, (68), 19-26., p.20. (閲覧日2022/09)

アンコンシャス・バイアスによる偏見や差別は、男性よりも女性に向けられることが多い一例として、

成人男性のステレオタイプには明確なサブカテゴリーが存在しないのに対して、女性には独身、専業主婦、ワーキングマザーなどのサブカテゴリーが存在し、それぞれ異なったステレオタイプがもたれていること

引用元:中坪史典, 木戸彩恵, 加藤望, & 石野陽子. (2019). 女性・ 母親に向けられるアンコンシャス・ バイアスという眼差し. 広島大学大学院教育学研究科紀要. 第三部, 教育人間科学関連領域= Bulletin of the Graduate School of Education, Hiroshima University. Part. 3, Education and human science, (68), 19-26., p.20. (閲覧日2022/09)

が挙げられています。

昨今では、「専業主夫」はチラホラ耳にする機会が増えましたが、「ワーキングファザー」という表現は、私はほとんど耳にしたことがありません。読者の皆さんはいかがですか?

【育児に対する無意識の偏見】ワーキングマザーは悪人でイクメンは善人

【育児に対する無意識の偏見】ワーキングマザーは悪人でイクメンは善人

以下に記すのは、私たち一家が体験した「育児は母親の役目で当然」という、アンコンシャス・バイアスによる偏見を象徴するエピソードです。

わが子が学校でケガをしたという連絡を受け取った親の緊張

わが子が学校でケガをしたという連絡を受け取った親の緊張

あれは娘が、小2だった時のこと。

鳴り響く携帯電話に表示された電話番号が、娘の学校の番号だとわかった途端、私の緊張感はマックスレベルに。そして、先生から伺った電話の要件は、さらに私を緊張へと導きました。

「実はお嬢さんが、休み時間に校庭の凍った地面で転倒し、口にケガを負ってしまいました。今、本人はやや落ち着きましたが、出血がかなりあったので、病院での診察が必要だと思います。できるだけ早く、学校にお迎えに来ていただけますか?」と説明する先生の言葉に、一瞬時間が止まったかのような感覚を覚えました。

電話口の先生によれば、たまたまご自分のお子さんのお迎えでその場に居合わせた医師の方が、娘の傷口をチェックしてくださり、応急処置済みとのこと。

「おそらく縫わなくて平気なのでは」との見解だったと先生から説明を受け、私も少し落ち着きを取り戻すことができました。

緊急時のわが子のお迎え役は父親というわが家の育児分担

緊急時のわが子のお迎え役は父親というわが家の育児分担

当時の私の勤務地はバーゼルで、娘の小学校の所在地は自宅のあるベルン。どんなに急いでも、バスと電車を乗り継いで2時間ほどかかる場所に、私はいました。

幸いにも、夫の勤務先は学校から10分ほどの距離。

娘が2歳になった頃から、育児を分担していたわが家では、「緊急事態が起きたら、学校へのお迎えは父親の役目」と決め、娘本人にもその旨を伝えていましたので、私の勤務地が遠いとはいえ、家族で不安を感じたことはありませんでした。

夫の勤務先でも、万一の際にはサポートが得られるように(すぐに職場を離れてOKなど)、了承してもらえていたので、準備は万全。

そこで私は何のためらいもなく、「では夫に連絡して、すぐに学校に向かってもらうようにします。恐れ入りますが、娘を電話口に呼んでいただけますか?」と、先生にお願いしたのです。

ケガした子のために学校にすぐ行けないワーキングマザーは悪人なのか?

ケガした子のために学校にすぐ迎えないワーキングマザーは悪人なのか?

ところが電話の向こうの先生は、完全に沈黙。

「もしかして、電話が切れてる?」とあわてた私に聞こえてきたのは、「お母様に、お迎えに来てもらうわけにはいきませんか」という、先生のセリフでした。

「あいにく私はちょっと距離のある所におりますが、夫は遅くとも15分以内には学校に到着できる場所におりますので、すぐに連絡を入れます」と、私はお伝えしました。

すると先生は、「お母様は、どこにいらっしゃるのですか?お嬢さんは、傷口の出血が多かったこともあり、かなり泣いていたので、お母様にお迎えに来ていただきたいのですが」と、要望してきたのです。

そこで私は、自分の現在地を報告し、もう一度娘の父親がすぐに学校に迎えに行くと申告。

受話器の向こうの先生は、「バーゼルにいるんですか?!お子さんが学校にいる間、いったいなぜバーゼルに?」と、甲高い声で質問を投げかけてきました。

先生の発言には、批判的なニュアンスが漂っていると、私は感じました。

「声がちょっとヒステリー気味…」と思ったのは、おそらく私の感情が、受け止め方に影響を及ぼしたから。

「バーゼルにいるのは、仕事のためです。ですからわが家では、非常事態のお迎え役は、学校の近くにいる父親の役目と分担しているのですが、何が問題なのでしょう」と、私は逆におたずねしました。

ため息をついた先生は、「では、仕方がないですね。どうしてもお母様のお迎えはムリのようなので、お父様に連絡を取って下さい」と、返答してきたのです。

ケガしたわが子のお迎えに参上した父親はイクメンと絶賛されて複雑

ケガしたわが子のお迎えに参上した父親はイクメンと絶賛されて複雑

おかげさまで、娘のケガは軽症とかかりつけの小児科で診断され、家族3人ホッとしたのは、その日の夜のことでした。

その日の出来事を振り返った私たち夫婦は、

  • 小学校の先生たち:『わざわざお父様がお迎えなんて、大変でしたね』と夫に声かけ
  • 生徒たち:『ママじゃなくて、パパのお迎えだ!』とコメント
  • 小児科医院:『あら、お父様はたまたまお休みだったんですか?』発言

といった世間の反応を振り返りました。

そして、「もし、今日のお迎え役が母親だったら、誰ひとり育児を担当しているのが母親だという事実に、注目しなかったのではないか」と、無意識の偏見=アンコンシャス・バイアスが社会に根強くはびこっている現状を、あらためて感じたのです。

親として当たり前のことをしただけで、イクメンと好意的に受け止められた夫。

そして、学校の先生から皮肉っぽい口調で私に向けられた電話質問の内容を、母親ではなく父親への問いと仮定すると、質問のすべてが「あり得ない内容」に変化する事実。

母親の育児・家事への労力って、なぜ誰の目にも映らないのでしょう。せめてパートナーである父親には見過ごさないでいてほしいけれど、現実は理想とかなりかけ離れていません? 

自分たちだけでは解決できない「育児・家事への男女間での役割分担に対する無意識の偏見」に立ち向かいながらの生活は、夫婦ともに骨が折れることだと、実感した出来事でした。

母も父もツラいよ(涙)。

タイトルとURLをコピーしました