昭和化石の私は、大切な手紙やカードをしたためる際には、必ず万年筆を使います。
昨日、久しぶりに万年筆を手に取りました。
改まった気分で文字を書くとき、私がいつも思い出すのは、高校時代の恩師のこと。
当時、ビリから数える方が早いほど出来の悪い生徒だった私は、先生から、あるメッセージを頂戴しました。
先生からのメッセージは、私がその後の人生で、「自分には夢を叶える力がある」と信じ、くじけてもあきらめないメンタルを身につけるきっかけとなったのです。
解読ほぼ不可能な丸文字は夜中に校舎の窓ガラスを壊すことの代替案
昭和化石の私が高校生だった頃は、「丸文字」の全盛期。
特待生以外の女子は例外なく、丸文字の愛用者だったと記憶しているのですが、私の丸文字は、クラスメイトの間でも「読めない」と話題になるほど、丸々プクプク。
アラカンになった今、過去の自分を分析してみると、尾崎豊さんの歌のように、「夜中に校舎の窓ガラスを壊す」なんてことは思いつかなかった私は(もちろん窓の破壊などしませんが)、誰にも読めない丸文字にこだわることで、「大人にわかってもらえない自分」を表現したかったのでは、と思うのです。
高校入学後やる気ゼロで劣等生だった私。唯一の例外は英語
高校に入学後、勉強する気が失せた私は、机には背を向けた毎日を過ごしていました。
テニス部の活動に参加するため、毎日通学していたものの、授業中はただそこに座っているだけで、上の空。
留年だけはしないように、必要最低限の宿題は提出していましたが、テストは赤点だらけで、高校1・2年の時には、成績はビリから2〜3番目というのが、私の定位置でした。
唯一の例外は、英語。
子どもの頃からの夢だった、エアラインに入社するためには、英語ができるようにならなければと、ネイティブスピーカーの英語を聞いたり、コツコツと文法や語彙を学んだりと、自分なりに努力していました。
その甲斐あって、英語のテストだけはクラスでもトップの成績だった私。
ところがある日、100点満点で戻ってきたテスト用紙の裏側に、英語の先生から私宛のメッセージが記されていたので、ビックリ。
「私、英語の授業でも何かやらかしたの?!」と、焦りました。
解読ほぼ不可能な丸文字で答えたテストの裏に先生が残したメッセージ
テスト用紙の裏面に綴られていた先生からのメッセージは、以下のような内容でした。
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○○さん(私の名字)のテスト採点を、いつも楽しみにしています。
「使える英語を身につけたい」という○○さんの姿勢が、テストの答えから伝わってくるからです。
英語ができるようになると、世界中の人々と自分の言葉で直接コミュニケーションを取るチャンスが広がります。
言葉は人間にとって、お互いの考えを伝え合い、理解し合うために欠かせない道具です。
そして、言葉によるコミュニケーションは、会話と文字で成り立っています。
○○さんの文字はとても読みにくいため、せっかくの素晴らしい言葉が読み手に伝わりにくいと、テスト採点のたびに残念に思います。「読みにくい文字は読まない」という人も、社会にはいますから。
わかりやすい文字で同じ言葉を書けば、もっと多くの人に自分の考えをスムーズに伝えることができるようになるはずです。
○○さんが、「読みやすい文字」でテストに回答してくれたら、目の悪い私は助かるという事情もあります。
社会のルールを淡々と指摘した先生の言葉で目覚め、丸文字脱却
「こんな解読不能の丸文字を使うなんて、非常識だ!」という内容であれば、絶対反発したと思うのですが、英語の先生のメッセージは、明らかに次元が違っていることが、私にも明らかでした。
メッセージを頂いた当時、先生はおそらく50歳前後。
「すねているティーンエイジャー相手に、大人がこんなに心のこもったメッセージを送ってくれるなんて、只事じゃないわ!」と、先生の言葉は高校生だった私がそれまで体験したことのなかったインパクトで、胸に響きました。
私はもともと素直な性格なので(笑)、毎週欠かさず愛読していた雑誌・My Birthdayの裏表紙にあった広告の「日ペンの美子ちゃん」で、ボールペン習字を受講することを決意。
だけど高校生だった私のお小遣いで支払うには、ちょっと料金がお高め。母に相談したところ、私の提案に驚きながらもすぐ賛成してくれたので、夏休みの間は毎日、ペン字の練習をしていました。
母は書道の免許を持っていたので、「ママが先生になるわよ」と言われるのではと思ったのですが、あっさりとOKしてくれたのが、反抗期真っ只中だった私には、有り難かったです。
夏休み後、私が美文字で回答したテストには、「大変美しい文字で、読みやすいです!」と、先生からのお返事がありました。
メッセージをくれた先生が高3で担任となり、進路決定で神対応
私が通っていたのは某4年制大学の附属高校で、あえて受験して外部の大学に進学したいと考える生徒は、少数派。
でも、バブル時代には「短大卒の方が航空会社への就職に有利」という噂がまことしやかにあったので、「大学受験させてください」と、親の説得には成功しました。
ところが附属高校では、「浪人生が出ないように、外部受験を希望する生徒は、担任教諭のOKをもらわないとダメらしい」という情報が、生徒たちの間で広まっていたのです。
私のような劣等生は、外部受験希望者として不適格になる可能性大あり。
そこで私は「外部受験を希望するのは、『航空会社に勤務したい』という夢を叶えるため」というスピーチを用意して、進路面談に臨みました。
偶然ですが、高3での私の担任は、メッセージを下さった英語の先生でした。
私の熱弁が終わると先生は、「今の段階から、自分の夢がはっきりと見えているのは、素晴らしいことですね。では、外部受験を希望ということで」と、あっさり承認。
予想外の対応に拍子抜けした私が、「先生、私のこれまでの成績、ご存じですか?ずっとビリの方だったんですけど」と、思わず発言したほど。
すると先生は、「あなたは自分の夢を実現できる人ですから、大丈夫。この1年間、大変でしょうけど、きっと上手く行きます」と、本人の私が「え〜っ?!」とビビる神対応!
高校時代の恩師の言葉と態度から一生モノの「自分を信じる力」を獲得
私はその後スイスに移住し、思いがけずアラサーから現地の大学に再入学という道を歩んだのですが、「自分が超えられるかどうかわからない」課題にチャレンジするたびに、いつも目に浮かんだのは、あの時の恩師の姿。
おそらく先生は、私が先生のメッセージを受け止め、すぐに解読不能の丸文字に別れを告げたことを評価してくださり、「私には目標を定め、実現する力が備わっている」と、お考えになったのではと思います。
それにしても、まったく実績のなかった劣等生に向けて、あれだけ確信に満ちた態度で、「あなたは夢が実現できる人」と、キッパリと言い切った先生の度胸は「スゴい!」と、その後の人生で何度思ったかしれません。
私に「自分を信じる力」を与えてくださった恩師に出会えた偶然に感謝すると共に思い出すのは、別の先生の信じられない対応です。
大学受験に合格した後、高2の担任だった先生に「無事合格しました」とお伝えしたところ、「頭、おかしいんじゃないの?ビリケツの生徒が、合格するわけないだろう?」と、いかにも昭和的なコメントを浴びせられました。
もし、この先生が高3で私の担任だったら、その後の人生で「スイスの大学で学士・修士・博士号取得」などという大それた夢は、自分で打ち消す生き方になっていたと思います。
私が恩師の言葉と態度に支えられたように、「大人が自分の能力を信じてくれる」ことで、持って生まれた能力を活かせる子どもたちが、ひとりでも増えますように。
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実は、先生からのメッセージが記されたテスト用紙を、思い出の品として私はずっと保管し、スイスにも持参していました。あいにくと、現地の引越し業者の手違いで「思い出の箱」が廃棄されてしまったことが、今でも悔やまれます。
だけど、先生からのメッセージは、これからも私の心の中に生き続けます!