ヨーロッパの大学に留学するならスイスに…と考えている方に、スイス在住歴四半世紀で、現地の大学院を卒業した私からの助言:「もしあなたが研究の目的で留学をしたいのなら、当面はスイスではなく、他のEU国を選ぶべき」。
理由は永世中立国のスイスが、ヨーロッパで陸の孤島化しているため。
スイスの国公立大学は、「中立国」という足枷のせいで、深刻な問題に直面しているのです。
【スイスの大学が抱える問題】Horizont Europeから除外
Horizon Europeは、研究とイノベーションのためのEUの主要プログラムです。
引用元:NCP Japan <Horizont Europeとは>
このプログラムは、欧州と世界の最高の頭脳を結集して、現代の重要な課題に対する優れたソリューションを提供し、EUの政策優先事項を支援するとともに、欧州の次世代のためによりよい未来を築くことを目的としています。
グローバルな課題に取り組みながら、研究とイノベーションを促進し、その影響力を強化します。また、優れた知識や技術の創出と普及を支援しています。
スイスは2020年の時点まで、Horizont Europeの準加盟国だったのですが、2021年から除外されています。
Horizont Europeの準加盟国だったスイスは、非EU加盟国であっても何の問題なく、EU各国の大学と共同研究や交流を行ったり、「ERC Starting Grant」と呼ばれる研究費をEUから獲得し、スイスの機関で研究を行なったりすることが可能でした。
しかし2021年、スイスがHorizont Europeから除外されたことを機に、EU各国とのすべての共同作業/支援が中止され、科学研究面でスイスは完全に陸の孤島と化しているのです。
【スイスの大学が抱える問題】Horizont Europe除外の原因
スイスの国公立大学が、Horizont Europeから除外されてしまった原因は、スイスとEU間の「二国間枠組み条約」が、合意に至らなかったためです。
永世中立国のポジションを維持したままで、EU各国と同等の条件で関係を築きたいスイスはこれまで、それぞれのテーマごと(例:農産品/工業製品/研究)に分けて個別の条約を、スイスーEU間で締結してきました。
ところがEU側は、個別テーマではなく、完全な制度的条約に合意すべきだと主張し、スイス側と意見が対立。
その影響を受け、スイスとEU間の大学での共同作業/支援も座礁しているのが、現在の状況です。
そもそもスイスがEUに加盟したくない2つの理由
EUに加盟することは、スイスの中立性と直接民主制を失うことになるというのが、スイス側の意見です。
とはいえ、例えばスイスのお隣にあるオーストリアは、中立でありながらもEUに加盟しているわけですが、議会制共和国であるため、直接民主制のスイスとは事情が異なります。
スイスの政治システムの超簡単なおさらいはコチラで↓どうぞ。
スイスがEUの制度的条約を拒否した理由3点
- 理由1)
EUの主張:EU法令が更新されるたびに、新法令をスイス国内法に速やかに適用するシステムを導入すべき。
スイスの主張:直接民主制が損なわれることになる。 - 理由2)
EUの主張:EU市民権指令をスイスに取り入れるべき。
スイスの主張:スイスにおける賃金と生活費は、EU平均よりも高いのが事実。EUのレベルに合わせることで、スイスで賃金低下を引き起こす可能性がある。
また、EU市民権指令を受け入れることで、スイスに滞在するEU諸国の国民が、スイスの社会福祉補償制度を利用する権利を持つことになるので、社会保障費狙いのEU移民が増加する恐れがある。
- 理由3)
EUの主張:スイス国内における州政府補助金の中止。
スイスの主張:スイスの州立銀行にとって州政府補助金は、銀行運営における信頼の要なので、補助金中止は考えられない。
<参照サイト>
JETRO 日本貿易振興機構 <スイス連邦政府、EUとの制度的条約交渉を中止>
(更新日2021/05/28)(閲覧日2022/05/24)
SWI swissinfo.ch <Rahmenabkommen: Die Schweizer Version von “remain or leave”>
(更新日2021/04/15)(閲覧日2022/05/24)
Horizont Europe除外でスイスの大学に起きている問題
以上のような理由で、スイスーEU間の大学を結ぶ関係には、深刻な亀裂が生じています。
Horizont Europe除外:スイス国内で資金は調達可能
例えば、ERC Starting Grantの援助を受けている最中で、スイス在住の研究者は、EU内の大学に転入しなければGrantの援助は中止されるというのがHorizont Europeの決定事項。
金銭面での問題においてスイスは、いかにもスイスらしい速やかな対応を見せました。
EU側からプロジェクト資金を得ていたスイスの機関に属する研究者に対しては、スイスが再びEUの準加盟国になる日まで、中止された資金分をスイスが提供するというもの。
Horizont Europe除外:資金調達では補えないスイスの孤立
けれども、「幸せはお金で変えない」のは研究の世界でも同じこと。
SRF(スイス公共放送)でのインタビューに登場したスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH)地球科学部の地震学研究者・ドメニコ教授は、ヨーロッパのみならず、世界的なプロジェクトを率いてきた人。
ETHホームページのプロフィールによれば、火星に地震計を設置するNASAの研究を担い、UNOの国際プロジェクトや、その他もろもろの研究でリーダーだった方なのです。
ところが、Horizont Europe除外により、スイスーEUの研究共同作業が中止されたため、ドメニコ教授は過去20年間、国際研究で務めていたリーダーポストを辞退せざるを得ない事態に追い込まれたそう。
そして、これまでは活発に行っていたEU各国とのデータや意見の交流も、スイスの機関に属する研究者には参加権利がないため、完全に孤立した状態で廃れていく研究の限界を、スイス公共放送のインタビュー動画で告白しています。
<参照元>
SRF <Wie Schweizer Spitzenforscher ausgebremst werden>(更新日2022/01/25)(閲覧日2022/05/24)
Horizont Europe除外:移住可能な研究者はスイス脱出
スイスとEU間の「二国間枠組み条約」交渉時点から、おそらく条約締結は無理だろうと噂され、研究者たちの「スイス離れ」が起きることが予想されていました。
「二国間枠組み条約」が物別れと判明した時点で、スイスにおける科学研究の行き詰まりを懸念した大学の研究者たちは、一刻も早いHorizont Europe「準加盟国」への復帰を望み、連邦政府への働きかけを、今も続行中です。
けれども現在の国際情勢では、研究分野に関する問題が、連邦政府のTo Doリストの上位にあるとは言えない印象を受けます。
同じ研究分野に携わっている仲間たちと、国境を越えて自由に交流することが新たな進歩につながり、互いの能力を高め合う結果になっていたのに、ヨーロッパ大陸の孤島になってしまったスイス。
当然ながら、大学内部に漂う空気は意気消沈といった雰囲気があることは、否めません。
もしあなたがご自分のキャリアアップを目指して、ヨーロッパへの留学をお考えなら、今回の記事でお伝えした点を考慮した上で、留学先を決定なさることをオススメします。
この記事の内容が、少しでもお役に立てば幸いです。