第168回芥川賞受賞作・『荒地の家族(佐藤厚志著)』は、東日本大震災の被災者が、戻ってくることのない「あの日」以前の日常を求めて葛藤する姿を静かに綴る物語。
建造物の再建は可能でも、津波の爪痕は、人の心からは消えない…。
芥川賞受賞作『荒地の家族』の著者・佐藤厚志さんのプロフィール
- 1982年 宮城県仙台市生まれ
- 東北学院大学文学部卒業
- 小説家兼丸善ジュンク堂仙台アエル店書店員
- 2017年 『蛇沼』で第49回新潮新人賞受賞
- 2021年 『象の皮膚』が第34回三島由紀夫賞候補に
- 2023年 『荒地の家族』で第168回芥川賞受賞
参照元:フリー百科事典ウィキペディア <佐藤厚志>(更新日2023/01/20 00:44 UTC)(閲覧日2023/01/27)
『荒地の家族(佐藤厚志著)』の主題:津波の爪痕と現在過去未来
『荒地の家族』の舞台は、東日本大震災で最大の人的被害を受けた宮城県。
亘理町に住む植木職人・坂井裕治と、彼と関わりのある人々が、3.11.から10年余りの時を経た今、「あの日」以前のあたりまえの日常と「今」の狭間で葛藤している姿を描く物語です。
芥川賞受賞作『荒地の家族(佐藤厚志著)』:私の感想
『荒地の家族』を読み始めてすぐに、私の脳裏に蘇ってきたのは、「震災遺構・仙台市立荒浜小学校」(上の地図)を訪れた際の記憶でした。
『荒地の家族』宮城県の海辺の町で建造物から私が感じたこと
活気に満ちた仙台駅から地下鉄に乗り、降り立った駅で仙台市立荒浜小学校へと向かうバスを待つ間、私は奇妙な感覚に包まれていました。
背後にあるのは、近未来的な駅舎。
目の前に広がるのは、雨上がりで、黒々と光るアスファルトの車道。
コンピューターグラフィックで作成したかのように、真っ直ぐ綺麗に伸びている、道路上の白線。
まったく人影がなかったこともあり(偶然なのか駅員さんもいなかった)、まるでパラレル・ワールドに入り込んだような気分でした。
私たちだけを乗せて走り出したバスの車窓を流れ行く家並の整った様子を見ながら、「東日本大震災後、一斉に再構築された街並みだから、人工的な空気が醸し出されているのかもしれない」などと考えつつ、バスの終着駅に到着。
『荒地の家族』宮城県の海辺の町で私が体感した津波の爪痕
向かった先の震災遺構・仙台市立荒浜小学校では、そこだけ時間が切り取られているかのように、津波の爪痕が刻まれていました。
津波の破壊力は、校舎の外装部分や教室内でも明らかなのですが、最も記憶に残ったのは、建物内に立ち込める、津波が残した「臭い」。
すでに波は引いているけれど、建物の奥深くまで染み込んだ海水が、見えない濁流として充満し、唸っていると感じたほど。
恐ろしくなって、鳥肌が立ちました。
その後、荒浜小学校の屋上から海を眺めると、海辺沿いに不思議な形をした木の列が、頼りなく風に揺れていました。
整列する木は、海岸防災林。帽子を被ったかのように見え、ヒョロ長い形をしているのは、その高さまでの部分を津波が飲み込んだためだと、震災遺構のスタッフの人から教えてもらいました。
『荒地の家族(佐藤厚志著)』過去と現在で揺れる心に未来はあるのか
『荒地の家族(佐藤厚志著)』に登場する人物は、主人公の坂井裕治だけではなく、「津波の前」に育まれていた過去のあたりまえの日常と、「津波の後」に続く現在の日常で、揺れています。
建造物の構築や木の再生事業など、目に見える変化で把握できる復旧作業に反して、心の再構築は、本人にすら見えない難題です。
目で見えるものの再構築がどんどん進むにつれ、東日本大震災で世界中の人々が受けた衝撃は、いつしか薄れ、被災者たちだけが時の流れという「津波」の中で、幻となった過去の思い出を掬い上げ、足りないピースだらけの現実に愕然とする世知辛い世の中。
「あの日」後の人生で、もがいても、もがかなくても、時間だけは公平に、通り過ぎて行くのが現実で、それでもなんとかもがくことをやめない坂井裕治が数年後、亘理町の海辺で立派に育ちつつあるクロマツを見上げながら、老人と2人で一斗缶を囲み、焚き火をしていることを願い、私は本を閉じました。