ハイジ・アルプス・チョコレートで有名なスイス。
「だけど、スイスでは何語を話すの? スイス語ってあまり聞いたことがないけど」と、思われた経験がある読者の方も、多いのではないでしょうか。
実は、スイスには4つ(!)も公用語があるのですが、そのうち6割以上を占めるドイツ語圏においては、日常生活では公用語とは別の独特な「スイス語(スイスドイツ語)」が使われています。
・・・それなのに、なぜか「スイス語」は、言語として存在しないというミステリーを、あなたはご存知でしたか?
今回の記事では、「スイス語」がない理由の背景を、スイスのドイツ語圏に四半世紀以上潜伏している私が、解説します。
【スイスの公用語】4つの言語の分布地図とその割合
国土面積は九州とほぼ同じサイズなのに、公用語が4つもあるスイスでは、ドイツ語(62.6%)・フランス語(22.9%)・イタリア語(8.2%)・ロマンシュ語(0.5%)が、使用されています。
ただし、スイスのドイツ語圏で日常使用されているのは「スイスドイツ語」。
公の環境(例:学校の授業・報道関連・書物・文書など)では、お隣の国ドイツの標準ドイツ語が使われているのですが、口語ではもっぱら、スイスドイツ語が使用されています。
スイスドイツ語は、ドイツ人でさえ理解できないほど、ボキャブラリーや文法が違うことばです。
例えば、ドイツのテレビ局がスイスでの街頭インタビューなどを放映する場合には、字幕付きでドイツ語に翻訳されていますし、スイスに移住してきたドイツ人たちも、スイス語に悩まされているのは、有名な話。
スイスドイツ語は、移住者泣かせで有名! 私も、スイスドイツ語に慣れるまで、本当に苦労しました(泣)。
【言語と方言の違い】その定義とは?〜スイスドイツ語での一例
スイスのドイツ語圏の国民にとって母国語である「スイスドイツ語」は、正式な言語として認められておらず、「スイスにおけるドイツ語の方言」として扱われています。
ことばが「言語」として認定されるための条件は、
- 標準語がある
- 規範的な書式が統一されている
- 相互理解ができる
という3点。
スイスドイツ語は、以上3つの条件をクリアしていないため(詳細は下部に記載)、「方言」とみなされているそうです。
身につけるのも骨が折れるけれど、背景までややこしいって、スイスドイツ語は、本当に気難し屋さん(笑)。
【スイスドイツ語が言語ではなく方言である3つの理由】在住者の解説
コチラの↑画像は、国立国語研究所が運営するサイト・ことば研究館の記事による「標準語」「共通語」「方言」の違いに関する説明です。
例えば日本では、東京のことばに基づき、
- 標準語:公的な場や書式で使用されることば
- 共通語:各地方にある方言の違いを超えて、お互いに意思疎通を図ることができることば
の概念が区別され、使用されています。
ちなみに、方言の定義はコチラ↓。
言語と方言
人間のことばは住む場所によって違う。場所による違いのうち、一つの言語の内部の差が方言である。・・・共通語と方言
引用元:コトバンク 方言 日本大百科全書(ニッポニカ)「方言」の解説
方言はまた共通語・標準語と対立してとらえられる。共通語・標準語も、起源をつきつめるとどこかの方言が基盤にあるが、いったん成立すると、他の方言とはまったく違った価値観でとらえられる。方言とのいちばんの違いは、文章語としても使われることである。
ところが、スイスドイツ語の場合、
- スイスドイツ語独自の標準語/共通語がない →方言を超えた相互理解ができない
- スイスドイツ語独自の規範的な書式が統一されていない
という状況なのです。
よって、スイスドイツ語は、ことばが「言語」として認定されるための3条件の見地からは、
- 標準語がない
- 規範的な書式が統一されていない
- 相互理解ができない
状態であるため、「言語」ではなく「方言」とみなされているのだと言えます。
【スイスドイツ語が言語ではない理由】①標準語がない
日本と比較して説明します。
スイスのドイツ語圏では、東京のことばを基盤とする標準語は、ドイツの標準ドイツ語。共通語も同様です。
自国のことばではなく、他国のことばを標準語/共通語として使わざるを得ない状況は、スイス国民に少なからず「モヤモヤとした感情」を引き起こすという事実を、在住者の私は幾度となく体験してきました。
これは、スイス人はあからさまに話題にしたがらないけれど、現実問題として社会に深く根を張っている事実。もちろんその気持ちも、わかりますが。
ちなみに日常生活では、各人が自分の方言を常に使用しています(例:チューリッヒ方言を話し、ベルンに住む私の義妹は、仕事でもプライベートでも、チューリッヒ方言を使用)。
【スイスドイツ語が言語ではない理由】②規範的書式がない
スイス国内での公の場や書式で用いられることばも、ドイツの標準ドイツ語です。
私の身内に聞いたところ、プライベートな場でのメッセージ交換は書式であっても、スイスドイツ語で行うことがしばしばあるそうです。
スイス人にとっては、スイスドイツ語は「本音を語れることば」なのではないかと、外国人の私は感じています。
【スイスドイツ語が言語ではない理由】③相互理解ができない
スイスドイツ語圏の人たちは、いつも自分の方言を使うので、別の方言を使う人たちと、ことばが通じないというトラブルは、発生することが多々あります。
私の義弟(ベルン方言)と義妹(チューリッヒ方言)のケンカの原因も、使うボキャブラリーが違うために起きることが日常茶飯事だとか。時にはフランス語か英語で説明し合うというのも、いかにもスイス的な解決法です。
また、ベルン出身でチューリッヒに住む著名なコラムニストが、DIYの工具をベルン方言で伝えても理解されず、数軒目でようやく、ベルン出身の店員さんに巡り合い、目当ての品を購入することができたエピソードを公開していたなんてことも、ありました。
スイス人の使う標準ドイツ語は、ドイツ人の標準ドイツ語とは異なる
外国人の私にとって非常に興味深いのは、スイスのドイツ語圏の人たちが使用する標準語/共通語はドイツの標準ドイツ語のはずなのに、本家ドイツの標準語とは微妙に異なっているという点。
アクセントだけではなく、筆記でも口語でも、スイス独特のボキャブラリー(フランス語の影響を受けたものが多い)や文法を気付かないまま利用するケースが多いので、「これはスイス人の操る標準ドイツ語だ」と、ドイツ人にはすぐにわかるようです。
例えば私の友人は、ご両親共に生粋のドイツ人ですが、スイス育ち。
大学時代をドイツで過ごしたこの友人は、ことばの違いからドイツでいつも「外国人」扱いされていたそうで、今のパートナーと交わした第一声が、「あなたは何人?なぜドイツ語が上手に話せるの?」だったと、笑い話にしています。
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以上、4つの公用語がある多言語国家であるにもかかわらず、「スイス語」がない摩訶不思議な背景を、在住者の視点から解説しました。
知れば知るほど、スイスの文化は奥深いです。まるで高いアルプスと湖への高度差を象徴しているかのようで、四半世紀以上潜伏中の私にとっても、まだまだ謎だらけの国です。