スイスの伝統楽器・アルプホルンを森の中で演奏した青年が「規律違反」で起訴され、約2万円強の罰金を命じられたというニュースが、スイスの大衆紙Blickで本日報道されています。
支払いを拒否すれば1日の禁固刑だとか。
スイス生活四半世紀の私は、このニュースを目にしても驚きませんでした。それが、スイスのすっぴんなのよ、みなさま〜。
静粛さはスイスでアンタッチャブル:森でのホルン演奏が起訴理由
静粛さを重んじるスイスらしさが炸裂するニュースです。
「規律違反」問題の争点は、起訴された青年が自然保護区域にあたる森の中(しかも絵になる湖のほとり)で、アルプホルンを演奏していたことが原因だそう。
自然保護区域を管理している森番(ちょっとどこまでハイジの世界)が青年の演奏中に現れ、該当区域の森での楽器演奏は自然の静寂さを乱す行為として禁止されているので、申告義務があると伝えたそうなのですが、青年はまさかそれが罰金刑を意味するとは知らなかったので、ショックを受けている様子です。
彼はまだ商業学校の学生さんなので、2万円強の罰金は大金。もし支払いを拒否すればなんと1日の禁固刑ということで、異議申し立てをするか考慮しているそう。
起訴された青年が納得のいかない点はふたつあり、
- 森番に諭されて演奏を中止したのに、規律違反への警告ではなく、すぐさま起訴手続きが行われた
- 森の中に複数の禁止事項を記した標識があるが、音楽演奏は記載されていなかった
とのこと。
「規律は規律」という、スイス文化の律儀さの表れでしょうか。だけど今回の対応は、ちぃっと頭が固すぎやしませんか。
・・・と、思うでしょう?
いやいや、これがスイスのすっぴんの姿なのですよ。
静寂さは、スイス社会でアンタッチャブルなテーマです。
「アルプホルン・演奏・罰金」のキーワードでオンライン検索してみたら、なんと今年の夏にも森の中でアルプホルンを演奏した人がふたり、罰金刑となったという事実を、地元ベルンのテレビ局が報道しています。
そして私も実際に、アルプホルンに関するいざこざを耳にしたことがあるのです。
森でアルプホルンを演奏中の老人、私がクレームを入れると誤解
以前住んでいた町(いや、村かしら)には、アイガー・ミュンヒ・ユングフラウの絶景を一望できるベンチが森の中にあって、私は週に数回、そこまで犬と散歩に行くことを習慣にしていました。
あるとき、ベンチ横の草原でアルプホルンを演奏していたおじいさまがいらっしゃいました。
大自然に囲まれ、とうとうと響くアルプホルンの音色。
誰に見せるわけでもなく、アルプホルンの演奏に集中するおじいさまの足元には、大型犬がゴロリと横になる…。
その場に居合わせた私は、言葉を失うほど感動して、その瞬間を楽しんでいたのです。
ところが、しばらくして演奏を終えたおじいさまは、思いがけないセリフを口にしました。
「今日はお天気がとてもいいから、あと一曲弾きたいのです。お願いだから苦情は入れないでもらえませんか」って、聞いた私は???でした。
私が演奏に感動したので、お邪魔でなければ次の曲も傾聴したいと述べると、おじいさまは泣き笑いのような表情を見せました。
なんでも、私が愛用していたベンチ周辺の森はおじいさまのご家族が何世代も前から所有している土地。
ご自宅はベンチから数100メートルの位置にあるけれど、お天気が良い日にはベルナー・オーバーランドの山々を見渡せるベンチ横の草原で、アルプホルンを演奏することを習慣にしていたそうなのです。
ところが、森の斜面の下方が新興住宅地として開発され、その区域の住人たちがおじいさまのアルプホルンの音が騒音だと役所に苦情を入れたというではありませんか。
私がお話しした時点で、この方は90歳過ぎ。
苦情が入る以前は、夏の早朝も草原でアルプホルンを演奏することが数十年来の習慣だったのに、今ではやめざるをえず、落ち込んでいたそうなのです。
ベンチのある草原から見下ろすと、新興住宅地は米粒サイズでしか見えないほど距離があったので、「あんな遠くまで、音が響きます?」と思わず私はたずねました。
おじいさまとご家族も同じ疑問を持ち、役所に問い合わせ、お役人立ち会いのもと騒音レベルをチェックしたそうなのです。
テストが行われた日にはアルプホルンの音色が住宅地には届かなかったけれど、「風向きによって聞こえると住人たちがクレームを入れているので、演奏が全面禁止されないように折り合うべき」と諭されて以来、草原での演奏はごくたまにしかしなくなったとお話しされていました。
「自分の所有する森の草原で演奏するアルプホルンに禁止令が出る日が来るとは、私のご先祖さまたちもきっと驚いているよ」と語ったおじいさま。
お話を伺った私の感覚では、長年ご自宅でおこと教室を開いているお師匠さんに新しい住人が文句を言っているようで、複雑な思いがしました。
私のご近所さんも森の中でのアルプホルンの演奏中止要請を役所に届出
私はその後も、演奏を楽しませていただきましたが、現在の家の横にある森でアルプホルンを演奏中の方に遭遇したときにも、「音が迷惑ですか?」と第一声で聞かれ、「アルプホルンを森で演奏しようとしても、昨今ではすぐに苦情が入るから、いろいろな森を転々としているんですよ」と聞いたことがあったのです。
この遭遇の数日後、ウチの近所にいる苦情オババ(あら、失礼)が「誰かが森でアルプホルンを演奏しているのが、うるさくってたまらないから、役所に連絡したの。これで静寂が戻るわ」とニンマリ笑っていました。
「だからあなたのお子さんもお孫さんも、けっしてあなたを訪問しないのよね。近所でも嫌われているし」と思った私。
荒んだものの考え方は、気をつけていないと心に忍び寄ります。
長引くコロナの影響で、社会がトゲトゲしている今だからこそ、心が洗われる音楽を楽しもうではありませんか。