スイス連邦工科大学が、急増する外国人留学生の「学費3倍値上げ」の意向を表明。
その背景にある要因と現地での報道内容を、在住歴30年・スイスの院卒の経験から分析しました。
スイス連邦工科大学が外国人留学生の「学費3倍値上げ」:最重要点
- スイス連邦議会の要請を受ける形で、スイス連邦工科大学審議会が「外国人留学生の学費3倍値上げ」の意向表明
- 外国人留学生だけ学費3倍増:現行の年間学費1460スイスフラン(約26万円*)を2025年の秋から年間4400スイスフラン(約78万円*)に値上げ
- 値上げの対象となるのは、2025年度からの新入生のみ。すでに在学している外国人留学生の学費は、値上げの対象外
スイス連邦工科大学とは?大学概要
- スイスの国立工科大学(創設1855年):ドイツ語圏のチューリッヒ校(通称ETH Zürich/チューリッヒ工科大学)とフランス語圏ローザンヌ校(通称EPF Lausanne)がある
- 学生総数:3万8437人(女性は32.7%)
- ETHチューリッヒ(2024): THE世界大学ランキング11位/QS世界ランキング7位
- EPFL(2024):THE世界大学ランキング33位/QS世界ランキング36位
ちなみにTHE世界大学ランキング(2024)によれば、東京大学は29位、京都大学は55位とのことです。
特に、非英語圏での世界大学ランキング1位に輝く「チューリッヒ工科大学」は、世界屈指の名門校。
- 2024年現在、22名のノーベル賞受賞者輩出
- 著名な卒業生:アルベルト・アインシュタイン(物理学者)/ウィルヘルム・コンラド・レントゲン(物理学者)/ヘルツォーグ&ド・ムーロン(建築家デュオ)
と、世界における多彩な分野に影響を与えた卒業生の方々が勢揃い。
別記事で述べたように、スイス国内では「どのスイスの大学を卒業したのか」に関してまったくこだわりがないのが実状なのですが、ETHチューリッヒは別格の存在で、卒業生たちが唯一、「私はETH出身」と強調することが多いように感じます。
そして、皆さん頭脳がキレッキレッなので(少なくとも私が知り合った卒業生たちですが)、「あぁ、やはり……」と納得してしまうほど、説得力のある出身校名です(笑)。
スイス連邦工科大学:外国人留学生の「学費3倍値上げ」の背景要因
【スイス連邦工科大学の外国人留学生率が急増】
学生総数の16%(2000年)から50.5%(2023年)に変化
外国人留学生は、学士・修士・博士と、学位のレベルが高くなるにつれ多くなり、博士課程での外国人留学生率は、ETHチューリッヒでは74%、EPFLでは85%と、もはや大多数。
修士課程での学生の国籍は、1位スイス/2位ドイツ/3位中国ですが、特に顕著な増加率が見られるのは、中国からの留学生だそうです。
【世界ランキングトップ大学のうち、スイスの学費が他国より桁違いに安い】
2024年現在、年間1460スイスフラン(約26万円*)と激安
たとえば、他国の世界トップレベル大学の年間学費と比較した場合、
- 米国のスタンフォード大学(THE世界大学ランキング2位):60’000スイスフラン(年間約1060万円*)
- イギリスのオックスフォード大学(THE世界大学ランキング1位):42’000スイスフラン(年間約740万円*)
- ドイツのミュンヘン工科大学(THE世界大学ランキング30位):6000スイスフラン(年間約106万円*)
- 中国の清華大学(THE世界大学ランキング12位):3900スイスフラン(年間約69万円*)
と、スイス連邦工科大学の学費は、極端に安いことが明らか。
学生総数は、外国人留学生の急増により極端に増えているにもかかわらず、スイス連邦から連邦工科大学への2025年度援助費が100億スイスフラン(約176億円*)減額されるという決定も、外国人留学生の「学費3倍値上げ」に拍車をかけた要因と思われます。
ちなみに「3倍増」の理由は、連邦工科大学には「外国人学生の学費は、スイス人学生が払う学費の最高3倍までとする」旨の規定があるためで、規定容認内の最高値が適用されるようです。
スイス連邦工科大学が外国人留学生の「学費3倍値上げ」:現地の反応
連邦制のスイスでは、国公立大学の学費は大学所在地にあたる各州が独断できるため、学費や条件が大学により異なっています。
スイスメディアの報道を見ますと、例外なく取り上げられているのは、ビジネスの専門単科大学として知られ、卒業生は世界経済を動かす大物揃いの「サンクトガレン大学(通称HSG)」がすでに学士課程で
- スイス人学生の年間学費:2458スイスフラン(約43万円)
- 外国人留学生の年間学費:6258スイスフラン(約111万円)
と、外国人留学生にほぼ3倍増の学費を導入していること。
さらに、3倍増の値上げになるとはいえ、諸外国と比べれば、連邦工科大学の学費はまだ低い事実も、共に報道されています。
実は、2024年3月の時点でスイス連邦工科大学審議会は、「国際的レベルでトップクラスの人材を集めるため、そして誰にでも平等に高等教育機関への門戸を開放するために、外国人留学生の学費だけ値上げするわけにはいかない」と、値上げ反対の姿勢をコメント。
それに対し、現地報道はこの記事内でも触れた問題点、①外国人留学生の急増②スイスの学費が他国より激安というポイントを、具体的なデータを用いて議論。
そして、「そもそもスイス人の税金が投入されているから、国公立大学の学費が安いはずなのに、『平等な高等教育の機会』を与えられているのがスイス人ではなくて、外国人留学生というのは、どういうこと?」という疑問点を、視聴者や読者が問題の深刻さを理解できる形でアピール。
ですから、短期間でスイス連邦工科大学審議会が「値上げ反対」の意見を反古し、「3倍値上げ」表明をしたことは、やや驚きを持って、しかし「現状を鑑みると、スイスにとって当然の結果」として報道されている印象を受けます。
スイス連邦工科大学が外国人留学生の「学費3倍値上げ」:私的意見
ETHチューリッヒ出身の義妹が、先ごろ仕事の関係でキャンパスを訪れた際、
「ETHは私の在学中から『英語が公用語』のような大学だったけど、自分の国・スイスにある大学なのに、ほとんど誰とも母国語で話せない環境って、なんか変。まるで大混雑している外国に行った気分だった。政府の補助金がカットされるのに、このままじゃ外国人留学生でETHがパンクする」
と、ため息まじりに呟いていた様子を思い出しながら、この記事を執筆しました。
連邦工科大学が、スイス的にはかなりの速いテンポで導入を図る「外国人留学生の学費3倍値上げ」により、ともすると社会で発生しがちな「外国人反対」の声が過熱することは防げたのでは、と個人的には思っています。
私自身は、スイスの州立大学で外国人用の高い学費(学士・修士時代のフリブール)と、外国人でもスイス人と同額(博士課程のバーゼル)と、両方の条件を体験済み。
フリブール時代の同期は、私が永住許可証の保持者で、大学進学のために留学しているのではなく、生活基盤がスイスで税金もこの国に納めていたことから、「スイス人と同額の学費にすべき」と、デモ計画を始めたことまでありました。
バーゼルの博士課程では、過半数を占めていたドイツ人の同期たちが、博士号取得と同時にスイス以外の国に転居する人ばかりだったのを目の当たりにし、当時からスイス人同期たちと「スイスの税金の使い道、これでいいの?!」などと、税金を払う側の人間として、疑問と不満を感じたことも事実。
スイスは天然資源が少ない分、豊かな人材の育成・獲得に力(つまりお金)を注ぐ……とはいえ、激安学費を目当てにスイスの大学が外国人留学生の溜まり場のようになってしまうことは、本末転倒ではないかというのが、スイスに30年在住している私の本音です。
日本からスイス連邦工科大学への留学を考慮していらっしゃる方にとっては、2025年秋からの学費3倍値上げはショックなニュースかと思いますが、「学費が激安だからスイスの大学に来ている」的な発言・態度ばかり強調され、スイスへの尊敬が感じられないと、高い税金を納めて安い学費をサポートしている現地の人間の感情は、当然ながら逆撫でされます。
日本からの留学生の方は、そのような不快な行動をとる方はいないはず、と信じておりますが、ぜひ現地の状況を頭の片隅に置いた上、日本よりもお得な学費でのスイスのキャンパスライフで、かけがえのない人生体験を増やしていただければ、納税者のひとりである私も大変嬉しく、応援のしがいがあります。
テーマは異なりますが、スイスの大学に押し寄せる外国人留学生の急増問題と、日本の観光名所や富士山で無茶な行動を厭わない外国人観光客激増問題には、共通点があるように思えて仕方ありません。
慎重なスイスの公的機関が見せた速やかな対応が、問題解決につながりますように。
<参照サイト>
ETH-RAT <GESCHÄFTSBERICHT DES ETH-RATS ÜBER DEN ETH-BEREICH 2023> (PDF) (閲覧日2024/07/17)
Sonntagszeitung <Die ETH ist 40-mal billiger als andere Top-Unis(紙版)>(更新日2024/05/05)(閲覧日2024/05/05)
NZZ <Der ETH-Rat will die Gebühren für ausländische Studierende verdreifachen>(更新日2024/07/12)(閲覧日2024/07/17)
フリー百科事典 ウィキペディア(ドイツ語版)<ETH Zürich>(更新日2024/07/11 20:56 UTC)(閲覧日2024/07/17)