日本に先駆けて上映スタートした映画、『悪は存在しない』(濱口竜介監督)を、スイスの映画館で視聴してきました。
現地メディアの報道内容と共に、私が映画館で体験した観客の反応と、個人的な感想を記します。
『悪は存在しない』(濱口竜介監督):スイスメディアも作品に注目
スイスの日刊紙ターゲスアンツァイガーが、『世界で最も謙虚なオスカー受賞者』というタイトルで報じた記事では、
- 濱口竜介監督の代表作品『ドライブ・マイ・カー』(2021年)に関する内容:1)原作者、村上春樹氏と濱口竜介監督のやりとり、2)作品のあらすじ、3)主人公である舞台演出家と監督自身で重複する作品への取り組み方
- 濱口竜介監督の経歴概略
- 新作『悪は存在しない』のあらすじと作品の特徴
などが紹介されています。
また、スイス公共テレビ局のオンラインサイトも、『悪は存在しない』のあらすじを、濱口竜介監督への4つの質問と共に報道。
『オスカー受賞監督への4つの質問』と銘打ち、
- 映画タイトルの意味
- グランピングに対する個人的な興味
- ヒトと自然のつながりは消えているのか
- 『ドライブ・マイ・カー』の成功が与えた影響
についての濱口竜介監督の答えを反映しながら、作品『悪は存在しない』が醸し出す印象を綴っています。
『悪は存在しない』(濱口竜介監督):スイス映画館観客の反応
スイスでは、日本に先駆けて2024年4月11日から映画館での上映開始となった『悪は存在しない』。
新聞とオンラインサイトの記事は、どちらも作品内容と濱口竜介監督の才能を讃える内容であったためか、私が訪れたベルンの映画館は、週末ということもあり、56席が満席の状態でした。
平均的な観客は、かなり高めの年齢層(60歳+)のふたり連れで、典型的なブロックバスター作品の観客とは完全に異なる雰囲気のある人たち。
すでに日本旅行の経験がある人や、日本への再訪問を計画中の人たちが観客の多数を占めていたのではと、上映前に小耳にはさんだ会話から推察しました。
作品内で、富士山が背景に見える場面では、「おぉっ、フジヤマ!……美しい」という感嘆の声が、館内で一斉に上がりましたが、それ以外のシーンは、観客全員が静かに流れる映像とストーリーを、固唾を呑んで見守っている感じでした。
ラストシーンが近づくにつれ、緊迫した静寂感が館内を包んでいたのですが、観客はエンドロールが流れ出して数秒経ってから、ようやく映画が終わったと理解できた様子(私も含めて)。
すると、それまでの静けさとは裏腹に、どの観客も口々に自分の意見を述べ出して、館内はかなり混乱した状態に変化したのが、とても印象的でした。
『悪は存在しない』のエンディングは、スイスの映画館では観客を完全に煙に巻くことに成功し、「観ただけでは終わらない」作品として、人々の感情を揺さぶった感がありました。
『悪は存在しない』(濱口竜介監督):スイスで視聴した私の感想
一瞬、サイレントムービーなのかと誤解するほど、セリフの少ない展開に、「今日はオリジナル言語の日本語を、スイスの映画館で楽しめる!」とワクワクしていた私は、最初やや当惑・落胆。
けれども、音楽と自然の効果音が、美しさを極めた映像と相まって本当に素晴らしく、まるで映画を見ながら森林セラピーの世界に迷い込んだよう!
芸術性の高さにクラクラしました。毎回のことながら、私の脳細胞はなぜか東京藝術大学出身の人たちの才能に、魅了されてしまう。
同時に、住民への説明会のシーンが、非常に現実的だったのも、魅力的。これほど演技に見えない映画を見たのは、初めてかもしれません。
大自然に恵まれた長野県のとある町で、自然との共生を育みながら静かに暮らすことを重んじている人々の生活が、「デラックスで便利な大自然体験」を提供するグランピング場建設計画で根こそぎ破壊される危機に陥り、さまざまないざこざが発生するというストーリー展開は、美しい自然と人の優しさが、常に厳しさと紙一重の状態で危ういバランスを保っていることをヒシヒシと、ヒタヒタと、観客の心に訴えてきます。
視聴後、複雑な気持ちになりましたが、『悪は存在しない』は見てよかったと思える映画でした。
作品題材「自然地区への高級リゾート建設問題」はスイスでも大揺れ中
皮肉にも、スイスでは『悪は存在しない』のグランピング場建設と同様の問題が発生しています。
エジプト出身の投資家で、有名な観光地「エル・グーナ」を開発したサミーフ・サウィリス氏が、スイスのウルナー湖に位置する「イスレーテン」という場所に、マリーナ付きの高級ホテルリゾート設立を計画しているのです。
住民たちは、静かな田舎町に高級ホテルが建設されると、生活面すべてのバランスが崩れてしまうと反対しているのですが、報道によれば政治面での根回しに成功しているこの計画は、簡単に反故されず、反対派との押し問答が継続中です。
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スイスに移住して30年、こちらに来た当初と比較すると、いかにスイスの気候が変わってしまったのかと、厚手のコートなしでしのげる暖冬や、猛暑日連続があたりまえになった四季を体験するたびに、考えさせられます。
『悪は存在しない』が、自然を崇拝し、自然に敬意を払う姿勢を大切にしてきた日本で作成されたことに、大きな意味があるように思えます。
『悪は存在しない』という作品を通じて、できるだけ多くの人があらためて自然の大切さを意識して、行動に反映できる世の中になりますように。
<参照サイト>
SRF <«Evil Does Not Exist»:Wie viel Glamour bracht die Natur?> (更新日2024/04/12)(閲覧日2024/04/22)
Tagesanzeiger <Der bescheidenste Oscar-Preisträger der Welt> (更新日2024/04/17)(閲覧日2024/04/22)